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 SUITE GOTHIQUE - TOCCATA - JONATHAN SCOTT - ORGAN 


リンク曲について
チャーチオルガンを弾くために教会に入場するジョナサン・スコット。引き締まった表情と服装には一分の隙も感じられないが、既にこの時点から演奏は始まっていると言っていい。人にとっての外見はけして全てとは言えないが、内面に隙があれば外見に出てしまう。これを他人に見透かされれば、あまりいい結果に至らないことが多い。これは自分がこれまでの人生で培ってきたことである。若いころはそんなことまで全く考えが及ばなかったのである。

奇を衒わず」というが、今の自分はこの言葉を座右の銘としている。セカンドライフに入った自分にとってオーソドックスに勝るものはない。このことは安全管理に携わる者として、最低限度持ち合わせる必要のある条件と考えているのである。ジョナサン・スコットの真摯な演奏姿勢を見るにつけ、背筋を正される思いを抱く。よしんば自分に邪心(公でなく私に走るという意味)があれば、だれも自分について来ないことだろう。だからと言って真面目くさっていればいいと言っているのではない。

無駄話はご法度だが、さりげない世間話は人間関係の潤滑油となり得る。若いころの自分にはとてもそんな裁量など持ち合わせていなかったが、多くの修羅場を潜り抜けた今は、その重要性を認識している。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」という言葉があるが、「添う」努力もしないで人と仲良くなろうなどというのは虫が良すぎるのである。

他人と仲良くなりたければ、先ずは自分から心を開くことである。言うまでもなく世間話が出来るのは初対面ではとても無理である。その域に達するには礼節と仁が欠かせない。自分は実生活においても、ブログにおいても、常にそのような気持ちで取り組んできたつもりである。

1教会のジョナサン

本日は以前から気になっていることを述べたい。それは対話における好感度バロメーターのことである。先日NHKのアナウンサーを務めた鈴木健二氏のことをブログに掲載したが、彼の誠実で謙虚な姿勢が多くの視聴者を引き付けたのが「クイズ面白ゼミナール」などの人気番組であった。


民放のお笑い芸人が大いに受ける近年、このようなスタンスはかくすれば「硬過ぎる」というイメージを受ける向きもあられることだろう。自分はこれを百も承知の上で、他人の発言を聞く際の姿勢について述べたい。但し、含みとして公式な場で真偽を正すような議論の場でないことを最初にお断りしておきたい。


過去には海部俊樹首相など頷く政治家が存在したが、今は人の話を聞いて頷かない政治家が増えた。これは戦後の我が国の倫理観が、かつての国家主義、全体主義からパーソナリティ、多様性を重視した流れに変わりつつあることを物語っているわけだが、こうした風潮は世間一般にも言えることと考えている。


一方で近年はフランクに重きを置いたつきあいかたも多く見られる。例えばNHKの朝のテレビニュースで女性アナウンサーが男性アナウンサーのキャラをいじる。これは鈴木健二氏がNHKに在籍した頃には見かけることはなかったことだが、それだけ国営放送もざっくばらんなものになってきたという証であろう。


但し、いじる、いじられることは双方の同意があって初めて成り立つものであり、片一方が不快と感じるのならば、立派なハラスメントになるのである。ユーモアセンスにあふれたシーンとも取れないこともないが、一部にこのアナウンサー同士のやり取りに不快感を抱く視聴者もお在りなのでは?と私は考えている。彼らの狙い(実際はNHKのプロデューサー)は一体何なのだろう?或いは、視聴者受けを狙った役者の演技のようなものとして割り切っているのだろうか?


話は変わるが、「忖度」という言葉が一世を風靡したのは、2017年に起きた森友・加計学園問題で「安倍首相の意向に忖度した」という言葉がきっかけであった。力関係で相手に忖度を促し、このような関係に無理やり持ってゆくのはグレーゾーンであり、人間社会において今後もずっと続くことに相違ない。そういう意味を込めて本日は好感度バロメーターなるものを作成してみた。


2好感度バロメーター

相手が発言していても頷かないことは、パーシャル(中間域)ともとも取れるが、なめられてはいけないという反骨心が重なっていることも多い。若い人を中心に最近の日本人から「謙譲の美徳」という概念が失われつつある。言い換えれば「言った者勝ち」という気風である。


多くの勝負ごとに「先手必勝」という指向があるが、これは必ずしも的を得たものではない。対義語として「後の先」という言葉が存在するわけだが、この言葉の真意を理解している者こそがその道理(謙譲の美徳)を理解した者である。謙譲の真意を理解していない者に人間関係における「後の先の理」は難解なものとなることだろう。


謙譲(時には知っていてもわざと知らないふりをする)によって相手は面子を潰されることがなくなる。これによって初めて「誼」が形成される。鈴木健二氏が著した「気配りのすすめ」はそのような意味も含んでいると私は解釈している。私の周囲にも「あからさまに相手を否定できないがゆえに、回り道をして右と言えば左と言い、左と言えば右と言う」人がいるが、これは暗に忖度を促しているように受け取れるのである。


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横町コメント

「相手に忖度をさせる言動」は時に必要なこともあります。但しこれが度が過ぎれば自ずと徳を失う。自分はそのような気持ちで他人様と接しています。「良薬口に苦し」と言いますが、今の私は自らの姿勢に行き過ぎがないように、自らの行いを常に鏡に映し出して、矩を越えることがないように自分を戒めています。それだけに「他人が右と言えば左と言い、左と言えば右と言うこと」は敢えて意図的に避けたいと考えています。


それはさておき、早く忖度しなければならない立場を離れてフリーになりたいですが、セカンドライフで企業に使われる立場の自分にとって、’’忖度という面倒なしがらみ’’から解放されるのは先になりそうです。旧封建社会や全体主義、ナショナリズムの名残が我が国の国民性の一部を成している以上、致し方ない部分なのかも知れません。


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3七百横町
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