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 Johann Sebastian Bach - Suite nº 3, BWV 1068 (Karajan) 
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YOU TUBEをいろいろと聴きあさっているうちにこの曲に当たった。故人を偲ぶ曲としては、自分の中ではプロコル・ハルムの青い影とともにこの曲が思い浮かぶのである。

セカンドライフを日々歩む私だがこの年になると、自分と年の近い知人が他界することはさほど珍しくない。11年前の1月に人生の指南役だったAさんは自分が東京に転勤しているうちに逝去した。また7年前には、かつての直属の上司だったBさんが定年を迎えて間もなく亡くなった。それから2年後に、仕事で世話になったCさんが亡くなった。三人とも六十台という若さだった。AさんとBさんは自分の私小説にも登場している。本日はバッハの名曲であるこの曲を聴きながら、改めて人間の命の儚さを己の脳裏に刻み、現世に生きることの意味を噛み締めたい。

そう言えば、故城達也氏の担当した深夜番組ジェットストリームのエンディングを飾る夢幻飛行にこんなフレーズがあった。「夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは遠ざかるにつれ、次第に星のまたたきと区別がつかなくなります。お送りしておりますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように…」という言葉である。人が夜間飛行という名の一生を終える時、最初ははっきりと見えていた点滅の軌跡が時間の経過とともに朧になり、やがて星の瞬きと区別がつかなくなる。

若い頃は限りなくいつまでも続くと思っていた己の命の営みが、諸行無常の摂理に逆らえないものであると悟るにはそれなりの時間を要した。今思えば、それが自分の未熟さに他ならないのであるが、往時の私にはそれだけ自己客観視が不足していたのである。亡くなった人の中には自分と対立した人物も居たが、その話は敢えて避けたい。そうしたネガティブなことは自分が死んだ際に降りかかって来かねないことだからである。

「あの時の自分がもう少し、出来ていればあんなことは言わなかったのに…」今の自分には、そう語り掛けたい人が十数人は居る。だがそう思うかたのほとんどはこの世に居ない。ちょっとタイミングがずれただけで…そうした悔恨の念を現世の儚さという言葉で片付けるにはあまりにも虚しいのである。人生は儚いだけでなく、虚しくて哀しい。悟れば悟るほど、その観念は深まりつつある。「少年老いやすく学なりがたし」とはよく言われる言葉だが、改めてこの言葉の持つ重みを噛み締め、己に与えられた余生を少しでも前向きに生き、後進に確と襷を渡したい。
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筆者挨拶
今日は懺悔のようなことを書き、少し感傷に走り過ぎたのかも知れません。但し反省がなければ前進はない。敢えて過去の自分を曝け出すことで、自分の進むべき方向性を問うてみました。そう言えば、自分より数歳年上のDさんは13年前に53歳の若さで亡くなりましたが、郷土愛の強いかたでした。彼は毎年白石市(宮城県南部の都市)で開かれる片倉小十郎(伊達政宗の片腕と言われた賢臣)の率いた鉄砲隊のデモンストレーション(火縄銃の発砲)に参加しておられました。但し、その時の自分は歴史にさほど興味がなく、このイベントに誘われた時、そっけない態度をとってしまったのは今でも悔やまれます。そしてその年の春に彼と交わした電話が今生での最後の会話となりましたが、その時の自分の未熟さを思うと今でも泣けてくる…仔細は控えますが、ほろ苦いという言葉ではあまりにも軽い、徳を欠いた自分の言葉でした。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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