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先日或る人から「横町さんは最近人間が丸くなったね」と言われた。何か照れくさい気がするが、これも多くの苦い体験から悟ったスタンスなのかも知れない。多くの宗教や思想哲学は人を変える前に自分が変わることが重要と説いている。定年を迎える数年前からセカンドライフにかけて、その極意がよく理解できた気がする。

この他に自分が悟ったことは、元々感性の異なる全ての人と誼を通ずるのは不可能(和して同ぜず)ということである。他人を説き伏せようと言う御仁はどこにでもいるが、共通して言えるのは人と同じ土俵で相撲を取ろうとしないことである。そんな人物と議論しても水掛け論に終始するのが’オチ’である。近年は企業においてダイバーシティの重視が叫ばれるが、その根底にあるのは「物事にとっての正解は複数存在する」ということである。他人を論破しようとする御仁の多くはこういう柔軟な考えが出来ない。唯我独尊ということである。こういう人物は自分の意見こそコンセンサスに違いないという錯覚をしているのである。

一方で矛盾するようだが、私は礼節や謙譲を知らない人間を許容できない。例えば今どきの政治家は選挙で自分が当選すると、自分に対して万歳をする。(昨日の青森県市長選挙の勝者などもそうだった)これがどうしても許容できないのである。選挙で政治家に選ばれた瞬間から、その人物は公人となり、血税から給料を頂くことになるからだ。自分の身を公に捧げるつもりなら、自分の当選に対して万歳をする気にはならないはずである。

昭和の頃、このような政治家はごく少数しか居なかった。あれから数十年経つが、それが今はすっかり逆転している。重職に就く者ほど謙虚さが求められるのではないだろうか?これは政治家のみでなく現代社会全体に言える気がする。謙譲の極意は誤っても他人を損じないという意思表示である。今は若年層を中心にこの心が徐々に薄れていっている気がしてならないのである。

知識を鼻に掛ける御仁にも閉口である。江戸時代の儒者などは知識に溺れる者を戒めている。三浦梅園は「学問は置き所によりて善悪分かれる。臍の下良し、鼻の上悪し」と述べている。また佐藤一斎重職心得箇条で重職者の心得として①深沈厚重(冷静沈着)②磊落豪雄(懐の広さ)③聡明才弁を挙げているが、この三つには順番があるという。(数字の番号通り)従って③の聡明才弁が最初に来てはいけないのである。それに対して現代では、識者と言われる者の多くに「言った者勝ち」、「聞かれてもいないのにしゃべる」指向を重ねる。大変嘆かわしいことだが、現代の倫理観に照らし合わせれば、このようなこともダイバーシティとして目を瞑らざるを得ない。このへんが歯がゆいところである。

さて人間年老いて角が取れ丸くなってくると、他の石とぶつかることも少なくなるし、例えぶつかっても大きな衝撃にはならない。少し授業料を払い過ぎた感はあるが、多くの紆余曲折を経た末に、徐々にそのような域に近づきつつあるのを感じ、そのかたは私のことを「丸くなった」と評したのだろう。言われてけして悪い気がしないではないが、丸さの加減がまだまだ足らないのかも知れない。

1丸い石

横町コメント
本日は普段思っていることを文章にしてみました。一言述べたいのは私は多くの場面において、コンセンサスを模索しながら自己客観を行っていることです。唯我独尊に陥らない為にも、こうした自己客観はこれからも継続して参りたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
  


2六百七十横町
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