fc2ブログ
本日は休みを利して宮城野区原町地区~東仙台地区を南北に走る旧道・東街道の探索を行った。文芸誌みちのく春秋に連載中の『東街道をゆく』の取材である。方向的に順繰り北に移動して行くので、この区間が文芸誌に掲載される時期は来年の夏以降になるのかも知れない。それでも備えあれば憂いなしである。私は自分の心にこの言葉を言い聞かせてバイクに跨った。ここは原町通り(旧塩竃街道)と東街道が交わる辻である。ともに旧道なので道標(原町苦竹の道知るべ石)が立てられたらしい。東街道をどこまでも真っすぐに行けば陸奥国府のあった多賀城である。

1石の向こうが東街道

道標の説明書きをご覧頂きたい。「八幡八満ん」とは多賀城市八幡のことである。

2道しるべ石説明

新旧の地図を見比べて頂きたい。赤線が東街道である。東北本線が開通したばかりの明治後期は田畑や林が点在する長閑な土地だったのだろう。(データは今昔マップより引用)

3東仙台を通る東街道原図

Google3D立体画像で東街道の位置を確認して頂きたい。

4Google3D立体画像

梅田川に架かる橋を渡って北に数十メートル行った地点である。人が歩いている辺りまでは一方通行(手前側から向こう側のみ通行可)である。

5松原集会所案内看板

更に150メートルほど行くと朝日地蔵尊がある。(右側の石碑が立っている場所)突き当りに着目。鉄道の高架橋の前で道路が段差となって切れている。

6朝日地蔵尊前

実は鉄道や県道の建設が旧道である東街道を分断したのである。上段のコンクリート製の橋は東北(秋田)新幹線のものである。

7段差と鉄道高架橋

別な角度からGoogle3D立体画像を見て頂きたい。旧道がどのように分断されたかがおわかりと思う。

8クロス部分Google3D立体画像

分断された道路の北側に来てみた。周囲は住宅地で旧道の面影はほとんどない。古い建物でも昭和時代のものと見られ、それより古いものは見つからなかった。

9一方通行と分かれ道

この道路は一方通行となっている。(取材した順序は画像の順番と逆になります)この辺りも神社仏閣、石碑などは見当たらなかった。

10もうすぐ利府海道

横町コメント
地元のかたでも東街道がどの辺りを通っていたのか知らないかたがほとんどと捉えています。(知名度はかなり低く、郷土史家でも知らない人が多いと考えています。)自分もその一人だったのですが、数度に及ぶ取材を経て、凡そのルート(東街道は一本の単純な道でなく、枝分かれもあります)が頭に入った気が致します。時間は掛かりましたが点が線に転じたのは非常に嬉しいことです。この追い風を是非執筆に繋げたいと考えています。

本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
  


11七百横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)