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本日は去る5月に訪れた名取市笠島地区の笠島廃寺跡についてお伝えしたい。元禄2年(1689年)5月、藤原実方(実方中将とも)の墓や西行の足跡を辿ろうとした松尾芭蕉は生憎の梅雨の天候にたたられ、ぬかり道によって進路を阻まれ、その無念さを「笠島はいづこさ月のぬかり道」という句に遺している。笠島廃寺跡と藤原実方ゆかりの佐倍乃神社(さのえ神社)とは200メートルほどの距離である。佐倍乃神社と藤原実方の墓は1キロほど離れている。131年前の芭蕉はどの辺りまで近寄ることが出来たのか?気になるところである。ここから笠島廃寺跡までは300メートルほどである。

1東北新幹線橋脚

笠島廃寺跡の位置をGoogle航空写真で確認して頂きたい。奇しくも廃寺跡はほぼ東北新幹線のトンネルの真上となっている。

2廃寺Google航空写真

この民家と民家の間に南側の入口がある。気をつけていないと通り過ぎる可能性ありが、この二軒の民家が目印である。

3廃寺脇家屋

入口にはこのような道標が立っている。石段の手前に樹齢数百年と思われる大木がある。

4笠島廃寺南側立札

Google3D立体画像で笠島廃寺跡と旧道跡(破線)の位置を確認して頂きたい。この破線が東街道という保証はないが…

5笠島廃寺跡Google3D立体画像

竹林の中を通り、廃寺跡に向かう。今回の東街道探訪において、最も中世の頃の旧道の風情を残している場所である。訪れた時期が5月ということもあり、所々にタケノコが生えていた。

6東街道を偲ぶ竹林

笠島廃寺跡に到着。ここは昭和26年と27年に調査が行われ、塔跡の心礎と思われる石や、古代の布目瓦(ぬのめかわら)などが発見されている。名取市のホームページによると、出土した遺物から奈良・平安時代頃のものと思われ、建物は私的性格の寺院ではないかと推定されている。

7笠島廃寺説明書き

廃寺があったと思われるところは平地となっている。北側に隣接する佐倍乃神社とは目と鼻の先である。それだけに東街道とこの寺は密接な関係にあったのではないだろうか?

8廃寺跡地?

横町コメント
昭和の頃、笠島廃寺跡で調査が行われてから70年近くが過ぎようとしています。調査に携わったお二方の教授は既に他界され、時の移り変わりの早さを感じます。東街道に関わったと思われる寺跡を先賢が調査し、その場所を再び自分が訪れる。これだけで尋常でない感動を抱きます。恐らく二人の教授は多くのことを後学に託したと考えています。

それはさておき、私がこの地を訪れたのが今年の5月ですから、半年後の記事となりました;
私は半年前を振り返り、竹藪の中を通るこの旧道が東街道であるという可能性が高いのでは?と捉えています。東街道はロマンに満ち溢れていますが、これを現代人に訴えるには画像が不可欠となります。そのためには、アナログ上(寄稿している文芸誌)のみでなくデジタル上に旧道を連想させる画像データを残したい。私はそんな一心で本記事を書きました。みちのく春秋の新春号の寄稿締め切りまで一箇月を切りましたが、今回の投稿によってその足場を更に固めたいと考えています。

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9七百横町
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