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 John Coltrane Quartet - Impressions. 
随筆「ガチンコほど強いものはない」
私は現役時代に或る出来事がきっかけで鬱を患い、ずっと後まで尾を引く結果となった。大変残念ながら、鬱を患った際に、特定の人物に寄り添って頂いた経験はない。当然のことながら、自分が主体を以って病に打ち勝つしか術は見当たらないし、世間とはそんなに甘くないのを改めて認識するのである。

上司・Sさんは忙しい合間を縫って私の現場(仕事場)を訪ねたが、自分の心の憶測にある焦燥感、ネガティブな情感は遂に最後まで伝えず仕舞いだった。「ミック君、大丈夫か?」と聞かれても「大丈夫でない」とは口が裂けても言える言葉ではなかった。本心ではそう言いたくても言えないのが、この病に罹った者の辛さなのである。

それだけサラリーマンと言う職業はシビアでもあり、その多くは自分のハエをぼうのに精魂を使い果たすものなのかも知れない。最も自分が信頼を寄せているSさんでさえそうなのだから、後は自分の孤軍奮闘ぶりを正面から受け止め、この病の本質に立ち向かうしかなかったのである。

自分の現役時代を振り返れば、頼れるものは自分の度胸と腕しかなかった。常に背水の陣だったし、一歩道を踏み外せば、会社を辞めるしかなかった。そんな逆境が自分を強くした。但し、懐刀を持ち歩くからには斬れるものでなければならない。従って刀の手入れはどうしても怠れないものだった。人を斬るというのはたやすいことでない。一歩間違えば自分が斬られるからである。

人は死に際が肝心である。然らば、自分はいつ斬られて果ててもいいように往生際をよくしようとも考えた。死するにも美学がある。それは武士道の中核に位置する考えであるが、これを自分のものとして自覚するには修行がだった。そのような考え(悟り)に到達するにはそんなに簡単なものではなかった。このため、私は休みの都度に儒教(主に論語)を学んだ。こうした数箇月を経て、私はガチンコの重要性を悟ったのである。甘えがあればどこかの螺子が緩む。最初はたった一箇所の螺子の緩みであっても、やがては取り返しの尽かない大事に至るものとなる。ここで「ガチンコ」という言葉がどうしても飲み込めないかたには、堅気と解釈してもらってもいい。

今まで馬鹿なことを散々やってきた私だが、この言葉ほど人生に強い追い風をもたらす言葉は他に見当たらないのである。時勢は昭和から平成となり、ヒエラルキー社会の概念は大きく変わった。それまでの年功序列に変わって能力第一主義が主役となってきた。だが、能力第一主義の申し子とも言える出世組の多くは組織統制における「徳治主義」の重要性を理解していない。もちろん、自分より若年の社員が自分の領域を侵した際どう立ち回ればよいか?そんなことを懇切丁寧に教えてくれるものなど、どこを探しても見当たらない。

ここで改めて私は言う。「自分はあの時ガチンコだったから、危機を乗り越えられたのである」と。奴らには隙があった。彼らの多くは礼節に疎く、仁愛、忠恕に乏しいということだった。私は彼らの行動の中に、己の権威を高く保つために部下に恭順を求めるという矛盾を見出した。だから私は彼らが無礼に及んだ際、伝家の宝刀を抜き、叩き斬ったのである。もちろん、定年退職を無事に果たしたその日も、彼らには頭を下げなかった。自分を安売りする必要など毛頭ないし、頭を下げるに価しない輩であると思ったからである。

こうして戦いは終わった。もちろん私は人脈に乏しいし、頼れる先輩もほとんどいない。だがこれが却ってセカンドライフにおいての人間関係の煩わしさを断ち切り、清々したものをもたらすのである。定年して一年三箇月が過ぎた今となってはこうした過去への反芻はだいぶ薄れてきた。それは真の意味で「カタルシス」に近づいた所以なのかも知れない。

ミック挨拶
本日は酒の酔いに任せて自分が思っていることを吐き出させて頂きました。私は現役時代を振り返り、己のスタンスが常にガチンコだったからこそ正当防衛に及べたと思っています。この姿勢はもちろんセカンドライフでも貫かせて頂いています。でも懐刀はもう過去のものとなり、今は持ち歩く必要はなくなったと捉えています。然らば、これからは自分が思い悩む人の良きパートナーに廻る番と認識しております。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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