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  【4k】宮城 牡鹿半島~金華山 空の旅. by DJI Mavic Pro.  


リンク動画について
YOU TUBEサイト・ゆでゆでゆでこ様からのリンクである。4K画像はドローンからの撮影と思われるが高画質で、後にテレビ局から放送させて欲しいという依頼もあったという。実は先日石巻を訪れたユーチューバーの大川原明氏が、牡鹿半島東端のホテルニューさか井に宿泊したスレッドを見て、いろいろと調べて行くうちに、偶然にこの動画を見つけ、その中に金華山(牡鹿半島先端に浮かぶ信仰の島)の廃墟となったホテルが登場し、このホテルが、五十数年前に自分が祖父母と宿泊したホテルと判明し、ひどく驚いた次第である。

下の画像は牡鹿半島側から金華山を望んだアングルである。投稿日は三年前の2017年の5月6日で、草木の勢いも増し新緑の季節到来を思わせる景観となっている。動画を御覧頂ければおわかりと思うが、海はべた凪でため息の出るほど美しい風情である。

1牡鹿半島と金華山

往時小学校四年生だった私は石巻から仙台に移り住み、転校したばかりであった。一学期が終わって夏休みとなり、祖父母の勧めで金華山への船旅となった。出航は石巻市の北上川河口である。当日は胸躍る気分で祖父と連絡船に乗り込んだことを、今でもはっきりと覚えている。

2ヤフー地図

左側に桟橋が見えるが、ここが船着き場であった。私が祖父母と宿泊したホテルは画像のほぼ中央部である。

3金華山の桟橋

夏休み中、私は宿題の作文を書いたが、テーマはもちろん祖父母との金華山旅行のことであった。出発日は7月29日となっているが、菩提寺で父の墓参りを済ませた翌日の出発と思われるので、この旅は石巻の生家に一泊し、二日目に船で金華山に向かったと自分なりに解釈している。

4金華山作文出だし

字幕によってこの宿泊施設の名が金華山観光ホテルということを確認した。調べると1970年頃、廃業したらしい。インターネットで「金華山 宿泊」で検索してもヒットしない理由がわかった。大変残念ながら、廃墟となった建物は2011年の震災の際に、津波の被害に遭ったらしく、某ブログ(廃墟マニアのかたのサイト)を見ると内部は無残な姿となっているようだ。但し、遠くから見る限りにおいて建物外部の損壊の具合はさほど伝わらない。これが救いである。

作文からは私は「くろ潮」という部屋に泊まったことが確認できるが、部屋から山の木々が見えたと微かに記憶しているので、くろ潮は恐らく画像の裏側のほうの部屋であったと推察される。ブラインドとなって見えないが浴室は左側の離れの一階であった。作文には風呂に入った時の会話なども書いているので、実に興味深いものがある。

5後は山が迫っている

作文を改めて読んで驚いたのは日本酒党とばかり思いこんでいた祖父がウイスキーを持ち込んだことである。作文を読むと祖父母は部屋でビールを飲んだようだが、祖父はウイスキーを持参した他にビールも飲んだようだ。自分の想像通り祖父は死ぬ直前まで酒豪だったのだろう。ゆで卵やおにぎりは遠足の際に欠かせないものであるが、この旅程においても持参したことが書いてある。

B作文の文中

祖父はこの時、74、5歳だったが、この辺りで見事な平泳ぎを披露している。祖父は軍人上りらしく、気丈でありながらも、同時に磊落豪雄たる気質も持ち合わせた人物であった。曲がったことが嫌いで一見堅物にも見えるが、従妹に聞けばユーモアセンスもあったと言う。ドローンからの撮影では、透明度の高い海が確認できるが太平洋側から見れば、この場所は島の裏側に位置するスポットとなる。

7透明度が高い海

横町コメント
金華山への旅行の数箇月後で、祖父は満75歳の生涯を閉じました。自分にとっての唯一の祖父母との船旅が、よもや祖父との今生の別れになるとは思ってもいませんでした。それを考えると今でも胸が熱くなります。祖父から受けた恩愛は語りつくせないものがありますが、この船旅を一緒にできたことが唯一の孝行だったと考えています。余談になりますが、本日晩酌に飲む酒は金華山に出向いた祖父の供養のため、ウイスキー(お湯割り)と致しました。

とても返しきれない祖父母からの愛情は、今の家族(妻子)に向けたいと考えております。次回の記事では、自叙伝としてこの船旅のことを書いた随筆を披露したい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
  


8五百五十横町
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