fc2ブログ

生まれて初めての船旅

小学校一年で父を亡くした利郎は家庭の事情で七回も住まいを替えることとなった。多感な少年時代、利郎は父を早く亡くしたことで友達にも引け目を感じ、そのことが常に暗い影を落としていた。利郎は友達と遊んでいても、父親がいないことを友達に知られることをひどくきらっていたのである。


肩を落とし勝ちだった利郎に大きな影響を与えたのは、小学時代夏休みに父方の祖父母に連れられて行った金華山(宮城県牡鹿半島の先端に位置する信仰の島)への船旅だった。利郎が石巻から仙台に転校したばかりの小学年生の夏休みのことだった。それは利郎が生まれて初めて経験する旅行だった。初めて行く遠方の旅ということもあり、利郎は妙に大人に近づいたような気がした。

祖父母との再会

夏の日差しではあったが、太平洋からの浜風が入ってしのぎやすい日であった。バスの最前列に座っていた利郎は石巻の中町停留所(終点)で、到着を待つ祖父母の出迎えを受けた。「やあ」清治郎は昔の軍人らしく朴訥ではあるが、一種の温かみのある雰囲気で利郎を迎えた。


1観慶丸前の祖父母の絵

それに引き換え、祖母しほは昔の女性らしく、一歩下がって祖父の前に出ることなく、やさしいまなざしで初孫の利郎を見ていた。しほは、以前にものごころついたばかりの利郎を石巻唯一の丸光デパートに連れて行き、この地方ではここでしか食べれないソフトクリームの味を教えた。また、商店会の会合で当時はめったに食べれなかったハイカラなコーンシチュウの味を利郎に教えた人でもあった。


それだけではない。生家のお菓子屋の店頭に並んだものは利郎が望めばほとんどが彼に与えられた。揚げたての薩摩揚げを食べたときは、その素朴ではあるが、魚肉の加工がもたらす素材とは異なる食感に驚いた。明治ミルクチョコレートを食べたときは、和菓子とはとは全く違ったとろけるような甘さで贅沢を感じさせる味覚に利郎は感動した。


またチョコレート色の包み紙が国鉄(現JR)の仙石線(注釈:仙台と石巻を結ぶ電車で利郎もよく乗車していた)の列車の色と酷似していて、幼い利郎にはその色が興味深く感じられた。幼少期の味覚というものは、その人間のその後の食の嗜好に大きく影響するものである。今思い起こせば、その一つ一つが忘れ難い珠玉の想い出ともなるものであった。利郎はそういう意味も含めて、この優しい祖母を慕っていた。

「利郎、仙台の学校はもう慣れたか?」清治郎は聞いた。寡黙な利郎は「うん。」と頷いた。利郎が生家のお菓子屋に着くと、少し錆びた内装ギアのついた亡き父の錆びた自転車が置いてあった。「もう父はこの世にいない…」と思うと利郎は子供心にもせつなさを感じた。


その夜、利郎は祖父母と川の字になって床についた。明日の金華山に思いをはせて期待に胸を膨らませた。『はたして牡鹿半島の先端のこの島にはどんなものがあるのだろう。』という好奇心と、生まれて初めて母のもとを離れて祖父母とともに一泊旅行に旅立つ興奮とが入り乱れて、夜遅くまで寝付かれなかった。その夜利郎は何度も寝返りをうった。


金華山

翌朝、金華山に向かうその日、石巻の空は好天に恵まれたが風が少し強かった。船は旧北上川河口の船乗り場から外洋(石巻湾)に向かって出航した。船は遠洋漁業の停泊中の大型漁船と造船場が立ち並ぶ活気のある港町を横目に見ながら、河口に向かって進んだ。河口を出るまでは波は穏やかだったが、外洋に出ると次第に波が高くなってきた。


石巻の河口から鮎川経由で金華山までの航行はたっぷり時間近くかかった。石巻湾と言っても外海とさほど変わらない。太平洋の向こうにはアメリカがある。そう思うと胸が高鳴った。利郎は父から誕生日のプレゼントにもらった地球儀をよく見ていたので、幼い胸中に異郷への憧れが芽生えていたのである。


金華山に到着したその日祖父母に連れられてホテルに着いた。三階建てで赤い屋根の立派な観光ホテルで、宿泊する部屋はくろ潮という部屋だった。くろ潮の間でひと休憩した後、金華山神社にお参りをした。利郎は動物園でしか見たことのない鹿や猿が神社の境内や野原、林にいて、野生なのか放し飼いなのか見分けが尽かなかった。


その夜、利郎は清治郎と観光ホテルの風呂に入った。湯船に入った利郎は知らないおじさんから「坊やはよく日に焼けているね。」と言われた。そう言われると利郎は悪い気がしなかった。それは父がいないという引け目が「少しでも自分を強くたくましく見せたい」という相反する気持ちにつながっているからに他ならなかった。


祖父と部屋に戻ると、ごちそうが用意されていた。利郎にとってはごちそうよりも、和室と続きの板の間に置いてある椅子と机のほうに関心がいった。そこからは海は見えなかったが、金華山の松林の生い茂る急峻な山が見えた。利郎は家屋の中に居ながら、自然に溶け込めるような一種の野趣のようなものを肌で感じた。「これがホテルというものなのか。なかなか洒落たもだな。」利郎は生まれて初めて旅情への憧れを重ねた。


2山頂と牡鹿半島の先端

あくる日、やや遅い朝食をとった利郎は祖父母に連れられて金華山の野山を見物した。前日とは違って蒸し暑い日だった。坂の多い道であったが、登坂に差し掛かった際、清治郎が後ろ向きに歩行するのを利郎は面白いと感じ真似をした。利郎は二人を優しく見守るしほの微笑みが強く印象に残った。標高の高い地点の木々の合間からは白波を立てて漁船が通るが見えた。この日は結構暑かった。松の木の林からゆらゆらと暑気が立ち込め、原野に目を移すと盛夏を思わせる陽炎が見えた。


「利郎、海に行くか?」清治郎は聞いた。海と言っても金華山の海はほとんどが岩場だった。岩場に行くと清治郎は突然衣服を脱ぎ始めた。褌をと、清治郎は沖に向かって泳ぎだした。そこは波の荒い場所で海水浴場でもなかった。遠くから人が見ていたが清治郎は『そんなことは眼中にない。』という感じで悠然と平泳ぎで泳いでいた。


祖父の死と最後の別れ

それからヶ月後の十二月、仙台にも戻った利郎は学校の放課後の帰り、出迎えた母に石巻の叔父から発せられた一通の電報を見せられた。「ジジシス、スグコイ」…突然の祖父清治郎の死だった。利郎はあの金華山旅行が祖父との最後の別れになるとは夢にも思っていなかった。


葬式の日の出棺のときに、ある親戚から「利郎、お前は男なのだからおじいさんの最後の顔を見ておけ。」と言われた。しほは「見ないほうがいい…」と言った。利郎は祖母の言葉には従わず祖父の死に顔を見ようと思った。孫を代表して、祖父の死に顔を見ておかないといけないという気持ちに駆られたのである。祖父の顔は苦しんだ様子など微塵もなく、人生をまっとうしたような穏やかな死に顔であった。


利郎は、その後度々清治郎が金華山で泳いで見せた場面を思い出して亡き祖父を偲んだ。思い起こせば、まさに今生の別れであった。後年になって夢の中に出てきた祖父がこう言った。「利郎、昔でいえば家督だ。父を早く亡くしたからと言ってくよくよせず、力強く人生を生きて行くんだ。」祖父は自分のことをいつでも見ていてくれる。利郎はそんな祖父を今でも限りなく敬愛している。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


横町コメント

この作品は11年前の2009年に書いた『祖父からのメッセージ』を基に、加筆修正したものです。見直しにおいては、一箇月ほど前に見つかった往時の作文(夏休みの宿題)が大いに役に立ちました。同時に宿泊した宿が金華山観光ホテルであることが判明し、ネット上の画像も見つかり、往時へのイメージが一気に膨らんで参りました。小学校低学年の頃の作品と合わせれば自叙伝の執筆も夢でない気がしております。


今でも私は何かあれば、こんな時は祖父ならどうするのだろう?などと考えます。心の中に生きていると言っていい気が致します。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。

  


3五百五十横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)