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A、仕事について


光陰矢の如し」と言うが、セカンドライフに入ってから早いもので既に数年経った。そんな中で出遭った仕事が建設業の安全管理という仕事である。論語で言う「天命」には二つの意味があり、一つは避けようのない運命を、もう一つが自分が生かされているうちに行うべき仕事のことである。今の仕事は後者のほうで、まさに自分の長いサラリーマン生活の締めくくりに相応しい職種(経験とスキルが不可欠なポスト)である。


建設現場で安全パトロールを行い、様々な指導を行うわけだが、一歩間違うと揚げ足取りとなるので、自らが心を開く必要がある。対象としては建設現場の物や人となるが、根本的には人を相手にする仕事だけに上から目線は禁物である。現場に到着したら、先ずは自分から元気な声で挨拶するのは基本中の基本である。これを弁えない安全パトロールを自分は現役時代に何度か経験したが、そんな人物がパトロールに来た場合は最悪である。くれぐれも「人の振り見て我が振り直せ」を地で行きたいものである。


然るに、安全パトロールで現場に足を運ぶ数のうちには叩いても響かないケース(はっきり書けば差し障りがあるので読者の想像に委ねる)もある。そんな時にどうするか?迷ったことがあった。こういうイレギュラーなことは誰も打開策を教えてくれないことであり、大変難しい対応だが、これも論語の思考を応用して自分なりに解釈している。


それは、孔子が自分に対して心を開く者には一生懸命に教えるが、心を開かない者(挨拶を返さない者etc)までは面倒を見切れないと暗示している点である。指導をする側と指導される側は信頼関係で結ばれることが理想だが、必ずしも双方の信頼関係が成り立つとは限らない。時と場合によっては、毅然とした態度を取らなければならないのである。


そう悟ってから、イレギュラーなことには迷うことがなくなった。こんなことはごく当たり前と言えることかも知れないが、何事も加減が肝要である。仁は不可欠だがこれが行き過ぎればただのお人よしとなる。従って、つかず離れずの気持ちが必要なのである。それでも一年目よりは二年目、二年目よりは三年目…と着実に現場の担当者とは信頼を築くに至っているのは何よりも幸いである。


安全パトロールや検査のない日は会社でデスクワークを行うわけだが、結果的にこれまで十数年のブログライフで培った文章力にだいぶ助けられている。基本的に自分は文章を書くのが好きなのだが、ブログで記事を書く際のスキル(ボキャブラリーを含む)は仕事にも十分応用が利くのである。キーワードは’主観を控え他人目線で書くこと’に尽きる。このような面からしても、今の仕事は自分の適性に合った職種と言えるのかも知れない。


B、余暇時間について

セカンドライフに入ったら、現役時代のように根を詰めたくなかった。そんな自分が選んだのが週四日勤務で週休三日とする勤務体制である。これによって一年365日のうちの、約半数が休日になった。この余暇時間の増加が自分に追い風をもたらした。休日はDIYなどをしたり、史跡探訪や執筆活動をして無駄な時間は過ごしていない。ブログに向かう時間も増えたが、これは文芸誌「みちのく春秋」に寄稿していることもある。ブログに関しては月末に棚卸を行い、どんな記事が読まれているのか分析している。これは読者の興味を探るためである。


FC2ブログの印象については、コミュニケーションというよりも自分の記事を黙々と更新するかたが圧倒的に多いことが挙げられる。これは以前のヤフーブログと比べると天と地の差である。これに慣れるまでだいぶ掛かったが、今はこんなものなのだろうと思ってそれなりにFC2ブログを愉しんでいる。


それでもブロ友様は多いに越したことはない。ブロ友様からは励まされることが多く、執筆活動の大きな追い風となっている。これとは別に時折、過去の歴史記事を読んだというかたからの書き込みが何度かあり、多大なるモチベーションを頂いている。下の模式図をご覧頂きたい。ブロ友の定義としては読者を意図しており、その中の一部のかたからの厚意でコメントを頂いていると解釈している。


1ブログ親密度模式図


一方で稀なことだが反対意見が書き込まれることがある。(これは歴史関係の記事に多い)先日は、根拠を示さないで「この道は〇〇街道でない」などという書き込みがあった。これには閉口した。励ましや質問なら大歓迎だが、論拠を掲げないままでの一方的な私見は控えて頂きたい。


誹謗中傷やスパムというレベルではないが、やはりブログに書き込むには、それなりの論拠とマナーがあるわけで、書き込むからには社会人としてのマナーを配慮願いたいものである。このようにブログにはリスクもある。(書き込まれて後味が悪いことがある)但しリスクとベネフィットを比べるとベネフィットのほうが圧倒的に大きく、これこそがインターネット上に存在するブログの真の醍醐味である。


自画自賛はけして本意でないが、最近訪問者数がかなり増えた。これに関しては明日以降の記事に譲るが、FC2ブログは或る程度のラインに行くとSEO(集客効果)が一気に増えることが判明した。自分の書いた記事を多くのかたに読んで頂くのは大変光栄なことである。最近の傾向としては「世相を斬る」などのカテゴリーの増設したことで、政治、経済、外交などへの風刺も行っている。


ペンを執るからには広角的な視線が欠かせないと考えている。歴史を扱うことも多い拙ブログだが、歴史を振り返って見えてくるのが、現在や未来の展望や打開策のヒントである。多くの思想家は歴史を重視しているが、これにはシンパシーを感じている。


この他、余暇時間に行っていることにウォーキングが挙げられる。自分は酒を嗜むが、酒で身を滅ぼさないためにも適度な運動を心掛けている。それにはウォーキングが手っ取り早い。自分の数少ない長所に好奇心が挙げられる。健康と好奇心を失わない限り、ウォーキングへの意欲は泉のように湧き出してくるのである。


行く先については、その日の気分で決めることが多いが、景勝地を歩こうが平凡な住宅地を歩こうがモチベーションはさほど変わらない。これは興味の対象がありとあらゆるものに達していることを示すものである。例えば樹木、屋敷、街並み、山、川、橋、車…挙げたらきりがないほどである。いっそのこと、好奇心というよりも物好きと言ったほうがピンと来る気がする。


話は変わるが、数箇月前のブログにギア付きのバイクが脳の老化防止にいいことを書いた。これは東北大学の川島教授の研究で立証されているようで、自分のバイクライフにも追い風をもたらしている。いい歳になり、遠くへツーリングということは滅多にしなくなったが、近場や史跡探訪の際は出番があり、ライディングそのものを楽しみにしている。車と違い、肌で風を感じられるところがバイクの大きな魅力である。気候のいい季節の晴れた日にバイクに乗ると、これまで生きてきてよかったとつくづく感じるのである。


応用編としてバイクとウォーキングを組み合わせることもある。そんな時にピッタリなのがスニーカータイプの安全靴(つま先部分が補強されている靴)である。ウォーキングコースの狙い筋としては、仙台の地下鉄(南北線と東西線)の駅の駐輪場にバイクを止めてウォーキングに興じることが挙げられる。これまで結構実践してきたことだが、仙台市内を隅から隅までくまなく見て歩く方法として、このやりかたは最高である。


C、将来への夢

執筆活動として、これまで歴史物を書いてきたが、そのうち自叙伝も書きたい。これまで数作の短編を書いていたので、これらを見直したうえで、断片を繋げて行けばそれなりのものができると踏んでいる。先日小学生の頃に書いた作文「祖父母との金華山旅行」が見つかったのが、大きな追い風となりそうだ。


これまでブログに肉親以外の物故した知人についても数名書いたので、ベースのようなものは、既に存在している。自分が中年以降になってから亡くなったかたも多いが、差支えのない範囲で故人の生き様などにも触れたい。これが供養と言えるかどうかはわからないが、こうしたことは書き時というものがあり、機が熟した時に一気に書き進むしかない。着飾らない自分をさりげなく表す作品になれば、それで十分である。自分にプレッシャーを掛け過ぎないように気楽に行きたい。


もう少し先の夢としては完全リタイヤしたら旅行をしたいということである。交通手段としては車やバイクが手っ取り早いが、某放送局の「飲み鉄」にあやかり、電車やバスで酒でも飲みながらというのも悪くない。但しコロナ騒動が収束しない限り無理だろう。どうせ行くのなら執筆の取材を兼ねて行きたいものである。これを実現するには健康寿命を延ばす必要がある。その為にも禁酒日とウォーキングによる節制を、今後も徹底して行きたい。やはり健康あっての物種である。


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横町コメント

今年も残すところ、後一日になりました。本日は「今年一年を振り返って」と題して、昨日(世相編)と指向を替え、プライベートについて書かせて頂きました。明日は大晦日ですが、恒例のブログの棚卸を公開したいと考えています。


日常的にコメントをやり取りするブロ友様への年末の挨拶は明日伺う予定(既に終わっているかたもおいでです)です。


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2六百横町

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