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  「死ぬ覚悟した」〜福島原発の元運転員、初証言  


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私は昨年の6月話題の映画Fukishima50を見たが、その直後に元東電社員のYOU TUBE投稿スレッドを見て、Fukishima50のストーリーのようなきれいごと(一部の社員が己の命を顧みずに日本を救った)だけでないのを痛切に感じた。

この映画の筋書きにけして出て来ないことを井戸川隆太氏は曝露しているのである。Fukishima50で、往時対応に当たった社員だけが英雄視されがちだが、一方で一部の若手社員において、井戸川さんのような体験があったのを忘れてはいけない。事実を映画で歪曲されないためにも、本日は改めて彼の体験した出来事を記載する。

3月11日:この日は非番で地震が起きた際は自宅(双葉郡双葉町)に居た。地震が起き、第一原発には17時前後に駆け付けた。敷地の中の耐震棟で待機する。

3月12日:1号機が緊急停止する中で、手動でベント(開放弁)を開ける作業を試みるが、原子炉内は既に高濃度の放射能で汚染されていて、時間制限も加わり思うように作業が進まない。

3月12日15時36分:大音響とともに1号機が水素爆発を起こし建屋が吹き飛ぶ。(この時井戸川さんは余震と見分けがつかなくて画像で知ったという)このとき井戸川さんは中央制御室に居た。吉田所長は本店に対して水を要求するが思うように運ばず、海水を入れようとするが、本店が機器が腐食することを理由に真水を使うように指示。吉田所長は時間的な余裕がないことを理由に独自の判断で海水の使用を決定する。

3月12日~3月13日:水素爆発の後は若い社員(40歳以下)を退避させた。中央制御室には年配者が5、6人残ることとなる。(井戸川さんはこのとき、先輩社員との今生の別れを覚悟して涙ぐみそうになったという)その後、井戸川さんは耐震棟で待機を強いられる。

3月14日11時01分:今度は3号機が水素爆発を起こす。井戸川さんは本店はなにをやるにしても遅いと感じる。同時に現場と本店の意思疎通ができていないのを痛感する。(心情として歯がゆい思いか?)

3月18日:ようやく帰してもらう。避難先は東京。

4月某日:東京で被爆の値を計測すると東海で精密検査を受けるように指示される。東海で検査を受けたところ、被爆値が東京で計測した時よりも下がった為に、東海の精密検査での値を被爆値とされてしまう。(意図的な隠ぺいか?)

12月16日:政府(当時は民主党政権)から事故終息宣言(STEP2の完了)が出される。井戸川さんはとても終息と言える状態でないという。

2012年1月:井戸川さんが東京電力を退職

※淡々とインタビューに答える井戸川さん(地元の双葉町出身)。原発の中で何があったか、本当のことを風化させてはならないと考え、インタビューに応じる決心をしたという。

1肖像写真

実はつい最近のGoogleアナリティクス分析で、井戸川隆太氏の拙記事にアクセスが集中した。どうやら「井戸川隆太」のダイレクト入力で直接、拙ブログにアクセスしているかたが多いようだ。ちなみにYhoo検索での拙記事の順位は2位となっていた。

2井戸川隆太

井戸川さんがなぜ東電を辞めることになったのかを箇条で表したい。映画では政府と東電の本店によって現場が翻弄されたことだけを強調しているが、当時の現場のガバナンスに問題はなかったのだろうか?本店が悪いのか現場が悪いのか?非常に微妙だが、このへんは指揮命令系統や人事権も絡むので、当事者以外はわかり難いところである。

3東電を辞めた理由

横町コメント
震災から間もなく十年経ちますが、我々はFukishima50の内容だけが全てでないことを認識しなければなりません。井戸川さんの証言は往時の福島第一原発でどんなことがあったのかを世論に訴えるものであり、大変勇気ある発言と受け止めております。

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4六百七十横町
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