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本日は去る十日前の3月11日に訪ねた名取市の植松城跡満仲館跡)を紹介したい。と言ってもこの名称は極めて知名度が低く、一般的には雷神山古墳小塚と言う名称で呼ばれることが圧倒的に多い。自分も小塚のことは知っていたが、ここに古城(館)があったとは知らなかった。古墳時代に造られた古墳の上に館が造られるのはそう珍しくはないが、この植松城跡に関しては地元のかたにとってもマイナーな存在と捉えている。

駐車場に車を止め、順路を進むと左手(北側)に直径50メートルほどの丸い丘(円墳)が見えてくる。この丘が植松城跡である。雲一つない快晴で気温も10度を超えた。ちょうど十年前の今日、大震災があった特別な日であることを除けば、穏やかな春の一日といったところである。

1少し離れて小塚

Google3D立体画像で雷神山古墳の位置関係を確認して頂きたい。上の方向が北である。雷神山古墳には二つの古墳があり、大塚(長さ168メートルの前方後円墳)と小塚(直径50メートルの円墳)がある。尚、古墳の築造は4世紀後半から5世紀の前半と推測されている。

2Google3D立体画像

見取り図はご覧の通りである。小塚の周りには堀が存在し周湟(しゅうこう)と呼ばれる。紫桃正隆著『仙台領内古城・館』によると「仙台領古城書上」には植松城の規模は東西30間(54メートル)、南北19間(34メートル)とされる。

3小塚古墳見取り図

北側から法面を撮影。鏡餅とよく似たフォルム見られるが、或いは鎌倉時代~戦国期は土塁や副郭として使われたのかも知れない。

4小塚法面

Google3D立体画像の拡大版をご覧頂きたい。これは私の想像だが、古墳築造時は複数の権力者が葬られたことを示すものなのかも知れない。

5Google3D立体画像拡大

視点を変え、北東側からのビューである。隣地であるゴルフ練習場との落差は数メートルほどある。前方部の一部は墓地となっている。

6Google3D立体画像北東部よりアップ

東部から周湟部を撮影。紫桃正隆によると「古城書上」には「多田満仲居宅と申習候云々」と書かれ、多田氏は鎌倉時代の豪族であったという。その後多田氏の子孫は和賀郡(岩手県)に住み、大豪族として武威を振るうこととなった。樹齢数百年と見られるこの樹だが、残念ながら歴史の生き証人とはなり得ないのかも知れない。

7窪みは周涅

南西側には小さな墓石があったが、仔細は定かでない。或いは古墳や館跡とは無関係なのかも知れない。

8小塚墓石

植松城跡(小塚)から大塚(前方後円墳)を望んでみた。それにしてもスケールが大きい。東北のみならず東日本でも最大級の大きさ(Wikipediaより)だけに、どんな人物がここに眠っているのか興味の尽きないところである。

9小塚より雷神山古墳を望む

横町コメント
多くのかたが名取市の雷神山古墳に着目しますが、城(館)が建てられたのは小塚(円墳)のほうだけだったようです。なぜ大きな前方後円墳(大塚)に城を建てなかったのかわかりませんが、占いや祈祷が幅を利かせていた時代だけに或いは祟りなどを恐れたのかも知れません。

ここは謎が多い史跡だけに語りつくせないほどのロマンを感じます。読者様におかれましては、雷神山古墳はけして一つの古墳を指すのでなく、大塚と小塚の二つの古墳から成っていることをお見知り頂ければと考えております。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
  


10六百七十横町
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