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本日は週の中休みを利して、名取市内の東街道にちなんだ高館地区の史跡を訪ねた。こういう時は小回りの利くバイクが便利である。土地の古老にお会いしたときのことを考えてヘルメットはジェット式(顔を出すタイプ)をチョイスした。ローカルな場所でフルフェイスを被ってうろつくわけにはいかないので当然の選択である。おおよその位置をヤフー地図で確認して頂きたい。名取市でもかなり北部のほうである。史跡の詳細は後日の記事に委ね、本日は回ったスポットをダイジェストで紹介したい。

1ヤフー地図

ここは五つの旧道が交わる地点である。道標となる石碑は五方の辻碑と呼ばれる。その石碑は赤い鳥居の左の柱部分にある。五つの旧道が複雑怪奇に交わっているが、辻の周囲には昭和期の建築と見られるやや古い建物も現存していた。

2変速五差路

次に訪れたのが中世豪族の遠藤太郎入道道西の館があったとされる遠藤屋敷跡である。これは名取市が遠藤屋敷跡としている場所(垂水ダムに至る県道の北側から撮影)である。撮影した地点から西に100メートルほど行くとブロ友のIさんが訪れたそば店(高館食堂 水神蕎麦)がある。

3北側より

今度は本日訪れた史跡をGoogle3D立体画像でご覧頂きたい。

4Google3D立体画像

これは郷土史家の紫桃正隆氏が『仙台領内古城・館』で推定した遠藤屋敷である。さきほどの掲載した場所からは約200メートルほど南に位置するが、40数年前の現地調査で紫桃氏は二重に張めぐされた堀の位置を図示しているので、信憑性は高いと考えている。恐らく、豪族の桑島氏に従った遠藤氏はGoogle3D立体画像に描いた赤枠ほどの広い敷地を有したと考えるのが自然と考えている。近所にお住いの古老に話を伺ったところ、付近には遠藤姓を名乗る世帯が二十軒以上存在するという。本家と分家を合わせると相当な枝分かれとなっているのだろう。

5紫桃正隆の推定した遠藤屋敷

古老とは10分近く話し込んだ。桑島館(遠藤氏の主君である桑島氏の居城)はこの山にあったと言われるが、今では林業で山に入る人もなく、桑島館に至る道は草木の茨によってほとんど閉ざされてしまったと言う。これを聞いた私は止む無く桑島館跡に行くのを断念することにした。橋が架かっている場所は旧道で、その昔は道路も整備されていて桑島館跡に行くことが出来たという。

6旧道と桑島館

最後に訪れたのは幾世(幾代とも)という桑島家の子女(美貌に恵まれた女性)の碑(墓とも)である。幾世には雄幸(小佐治とも)という許婚がいたが、雄幸がたまたま他国に旅立った間に、関東足利家より、幾世を側室として差し出すようにとの命があり、進退窮まった幾世は桑島館の断崖(今の垂水ダム)に身を投げたという。後年、旅から戻った雄幸は幾世の訃報を聞き、腹をかき切って果てたとされる。幾世はこの時に辞世の句を詠んでいるが、これは後日の記事で紹介したいと考えている。

7ご両人の碑

横町コメント
本日はほとぼりが醒めないうちに、ダイジェスト版で名取市高館地区の史跡を紹介しておきます。幾世と雄幸の墓は旧道を隔てた場所の東西にほぼ対面して位置するわけですが、やるせない思いとともに、七夕の晩における織姫と彦星のような純愛も重ねます。幾世の墓前には生花が挿してあり、憐憫を感じた次第です。来世で二人が結ばれ、幸せな日々を送っていることを願いたいと思います。

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8六百六十六横町
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コメント

史跡

先人たちが暮らした城や屋敷の跡を、現代に生きている人間が体感できるのは、感性が豊かになるような気がいたします。
当時の人々の生活のさまが息遣いと共に伝わってきて、魂が揺さぶられる思いを禁じ得ません。
悲劇的な運命を余儀なくされた人たちもいたのですが、いまだに墓前に花が手向けられていると聞き、そこにわずかばかりの救いを感じております。

こんばんは~♬

落ち着いた雰囲気の場所ですね。
とっても悲しいお話です。
この位置関係は、一里塚のようでもあります。
後日の記事を楽しみにしています。

URL | 布遊 ID:-

桑島館のあった山の中の道、大いに気になりますね…。また、桑島館は史跡に指定されていないのでしょうか…。

URL | boubou ID:-

こんばんは

恒例の探訪をなさったようですね。
諸事情による伝承される悲しいお話。
それを乗り越えて今があることに感謝
です。

URL | ichan ID:-

声なき声さん、ありがとうございます。

墓前の花に際し、このかたの無念さを感じた昨日の歴史探訪でした。こういう史跡に関する記事を書いて思うことは、ただ単に史実の羅列や現地の状況報告に留まってはならないということです。同時に現地取材では常に謙虚な姿勢を心掛けています。

多くの資料による下調べと現地取材を経て、その中で自分が何を感じたか、即ち、「一滴のエキスの抽出」に全身全霊を傾けることが肝要と捉えています。

そういう意味で、この一輪の花が自分に与えた余韻は計り知れないものがございます。貴兄には記事の真髄に迫るお言葉を頂戴し深く感謝しております。おはからいにより、本日も格別なる追い風を頂戴しました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。

布遊さん、ありがとうございます。

昨日は思いが冷めないうちにということを自分に何度も言い聞かせて記事を書きました。歴史書を読むとピンと来ない話と言う印象でしたが、往時の当人の立場や社会の成り立ちを考えているうちに、情が徐々に移ってきたというのが実感です。

恐らく史実に近い話と思いますが、大切なのは自分がどう感じたのか?自分の意志ではっきりと表明することです。そういう意味で昨日は有意義な歴史探訪が出来たと考えています。

お陰様で、今回も格別なるエールを賜りました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。

boubouさん、ありがとうございます。

桑島館の資料は非常に少なく、調べた文献やネット情報では釈然としておりません。それだけに昨日の古老から聞いたお話は意義があったと考えています。

今では山に入る目的もなくなったとのことで、館に至る道は自然に消滅したと思われます。ご配慮により、今回も有意義なご意見を聞かせて頂きました。コメントを頂きありがとうございます。

ichanさん、ありがとうございます。

昨日の探訪はいつもとは異なり、情が移るような気持ちが致しました。これまで悲話として語り継がれてきたのは、仏教国特有の慈愛もあったと考えています。極楽浄土で二人の幸せを祈る気持ちが、墓前の一輪の挿し花に現れていた気が致します。

これには自分も深く低頭した次第です。お陰様で、今回も真摯なコメントを頂戴致しました。おはからいに感謝しております。コメントを頂きありがとうございます。

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