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初めに
久しぶりに山本周五郎の時代小説を読んだ。時代小説は歴史小説とは一線を画し、登場人物や出来事を史実に合わせる必要がない。それだけに自由度は高いのだが、反面作家は時代背景、仕える藩の状況、屋敷の佇まい、庭に咲く草花に至るまで、非常に幅広い知識が要求される。少なくとも、読者に対して真実味を与える作品とするならば、このようなことを知り尽くしていなければとても書けないのである。山本周五郎の作品を読んで感心するのはどの作品も筋が通り、例え無名な人物を主人公に設定した際も、人として持つべき誠実さと人情を十分に感じさせることである。

今回私が読んだ作品もけして例外でなかった。その作品は昭和15年10月に講談雑誌に掲載した『壺』(短編)である。ちなみに拙ブログで過去に読んだ山本周五郎の作品を振り返ると7年前の2014年に『松の花』(短編)、『樅ノ木は残った』(長編)である。『松の花』は朗読の席などで親しまれている作品で、献身的な武士の妻を通して日本女性の内面的な美しさを表した作品である。一方の『樅ノ木は残った』は伊達騒動に関することで、読書の動機は昭和40年に放送されたNHKの大河ドラマのビデオ版(VHS)を図書館で観たのがきっかけであった。

郷土のことを少しでも知りたいと思い、この作品との出遭いをきっかけとして県内各地の史跡を訪れる動機に繋がったのは願ってもないことであった。余談だが山本周五郎は宮城県の亘理町の女性を後妻に向かえている。このことが仙台藩贔屓、原田甲斐贔屓になったというのが通説でもある。それはさておき、伊達騒動の真相は未だに解明されていないだけに、樅ノ木は残ったが投げかけた波紋はとてつもなく大きい。それまで悪役とばかり思われていた原田甲斐が実は藩の為に殉じた忠臣であった。その発想には驚くが、周五郎の知見と並外れた筆力によって妙に真実味が湧いてくるのである。

1本

山本周五郎『壺』昭和15年10月(講談雑誌掲載)あらすじ

紀伊の国の新宮の宿に木村外記と名乗る中年の武士が逗留した。外記は熊野詣でなどをせずにただ宿に逗留するのみであった。その宿には、剣術の稽古に明け暮れる七郎次という下男がいた。七郎次は百姓出身でありながら侍になるのを夢見て、宿に逗留した腕の立ちそうな武士に剣術の試合を申し出て、ことごとく勝っていた。野良稽古が日課になっていたのである。


或る日、三人の侍が現れ七郎次に決闘を申し込んだ。かつて同士が試合に負け、腕をへし折られたことを逆恨みしての復讐であった。三人の侍は剣術の試合を口実に七郎次を真剣で斬って捨てるつもりであった。決闘を知った七郎次の許嫁のおぬいは木村外記に決闘の取り止めの仲立ちを懇願した。決闘は既に始まっていたが、外記のはからいで、すんでのところで中止となった。


実は木村外記と名乗る侍は剣術の達人荒木又右衛門であった。おぬいはそれを見込んで又右衛門に侍との仲裁を頼んだのである。仲裁に納得の行かない七郎次は「余計なことをしてくれて」と思ったが、又右衛門から帰り道で「後からいつでも打ち込んで来い」と言われた。又右衛門の全身からみなぎるオーラは一分の隙もなく、後姿でさえ他を全く他を寄せ付けない鬼気迫るものがあった。七郎次は打ち込みを諦めざるを得なかった。


又右衛門の圧倒的な強さを思い知った七郎次は、数日後奉公と刀法伝授を又右衛門に願い出る。おぬいとともに土下座したのである。又右衛門はこれに対して一切の不平不満を言わぬことと、自分が承知するまで身を引かないことを条件にこれを承知した。七郎次は又右衛門の下男として屋敷に住み込みを許された。


その後、七郎次は来る日も来る日も待ったが、主君の又右衛門は剣術の指南どころか口を利こうとさえしなかった。しびれを切らした七郎次が或る日又右衛門に剣術の伝授を願い出た。又右衛門「あの丘の上にある杉の木の根元のどこかに、壺が埋まっている。その壺の中に刀法伝授の一巻の書がある。掘ってみるがよいと述べた。


その後、七郎次が十数日に渡って休むことなく穴を掘っても壺は一向に出て来ない。おぬいは又兵衛にまたもや助言を求めた。或る日鬼のような形相で杉の木の周囲の土を掘り返す七郎次に向かって又右衛門が言った。


「お前の目から見れば武士は、ただ威張りかえっているように見えるだろうが実はそうではない。侍とは己を捨てたものだ。上辺だけの権威ではなく、いつでもどこでも主君のために命を捨てる覚悟ができていなければならぬ。侍にとっては生死とも自分というものはない。武士道を極めるとはそういうことを指すのだ。ところで、お前の目的は壺を捜すことにあった。それなのに掘り返した土から草や瓦礫を拾い捨てた。自分では気づかず、まったく目的には無要なことなのになぜだ?…ひとくちに言えばおまえが百姓だからだ。心がその道に達していれば意識せずとも肉躰は必要な方向へ動く、剣をとろうと鍬をとろうと、求める道の極意はその一点より他にはない。妄執を捨てろ七郎次!お前には本来の道があるはずだ。人間の値打ちは身分によって定まるものではない。各自その生きる道に奉ずる心、己のためではなく生きる道のために、心身をあげて奉る心、その心が人間の値打ちを決定するのだ」


師匠の教えを聞いた七郎次は涙ぐんで言った。「私が愚か者にございました。剣をとろうと、鍬をとろうと、求める道の極意は一つとの仰せ、胆に銘じました。このお教えを子や孫伝えて参りたいと存じます」 又右衛門が言った壺とは形骸的なものでなく、百姓としての、否人間としての心得であったのである。翌日の明け方、七郎次はおぬいとともに又右衛門の屋敷を後にした。これからは百姓として汗を流して田畑を耕し、二人で生きて行くことを主君に誓ったのである


2杉の絵

横町読後感想
百姓には百姓の道がある。いい嫁(おぬい)を娶ったことだし、後は侍などになろうとせずに一生、身を百姓に捧げるがよい。荒木又右衛門は七郎次にそう述べたかったのでしょう。剣豪の又右衛門とて主君(大和郡山藩 松平忠明)の命があれば、いつでも命を投げ出さねばならない。侍たる者、いつでもその覚悟が出来ていなければ武士と名乗ることはまかりならぬ。私は本作品を読んで荒木又右衛門の威厳を感じるとともに、改めて武士の道の厳しさを重ねました。

いくら剣術に秀でていても、武士道がなければ武士としては腑抜けということです。又右衛門は表面的な武威にのみ憧れる七郎次を諫め「武士道を学ばぬ者は武士とは言えない。おぬしには別な道があるはずだ」とでも言いたかったのでしょう。武士道の礎になるのは四書五経であり、儒教です。武士は私事に走るのを極端に嫌いますが、これが身についてこそ本物の武士と言えます。

七郎次がいくら武術を磨いても武士道という中味がなければ真の武士にはなれない。無頼漢の域を出なかった七郎次はこれを聞いて痛く感動し、己の進むべき道を悟ったのではないでしょうか?自分は作品を読み進むうちに如何にも周五郎らしい人情味を感じました。

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3五百五十横町
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