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本日の昼過ぎ、私は仙台市南部にある東原保存緑地を訪ねた。移動手段はバイクである。車の擦れ違えないような細い道をものともしない機動力が大きな武器である。

一番の目的は仙台藩士である鹿又家周辺の史跡をこの目で見ることである。下調べを入念にした上で出発したが、目当ての鹿又戸兵衛を祀った鹿又戸兵衛明神社は2017年に仙台市によって解体されしまったという。或るインターネットサイトによると、仙台藩士鹿又家の末裔の親戚筋に当たる仙台市長鹿又武三郎氏が元々カヤ葺きの小さな祠だったものを昭和6年に明神社として建てたとされるが、文化的な価値のある建物を仙台市が勝手に解体したのは遺憾であり、事件としているようだ。

これは私の想像だが、昭和6年造営となると結構新しいようなので、古文書などの由緒に対して乏しいという疑問があったのかも知れない。インターネットによると明神社はなくなったものの、鹿又戸兵衛と父の八郎兵衛の墓標は現存しているという。私はその情報を頼りに付近を探索することにした。こんもりと土が盛られた土手は鹿除土手(ししよけ・別名:杉土手)と言われ、藩政時代に鹿や猪などによって農作物が食い荒らされるのを防ぐために造られた土手である。『仙台藩家臣録』などの文献から仙台藩2代藩主伊達忠宗(1600~1659)治世の明暦2年(1656年)以前に築造された可能性があると言われている。

4道路側は絶壁

鹿除土手は仙台市指定の東原保存林の一部となっている。

3東原保存緑地立札

Google3D立体画像で位置関係を確認して頂きたい。

2Google3D立体画像

西側からのアプローチである。小中学校が近いこともあり「あぶない入るな」の立て札が立っている。

5団地内からのアプローチ

保存林を西に100メートル離れて東側に向かって撮影したアングル。水路の延長が鹿除土手である。この辺りは結構切り土されたのかも知れない。撮影したスポットの近くのショップで聞き取りを行っものの、鹿又戸兵衛と彼の父の墓標は見つからなかった。

6杉土手脇水路

近くの公民館で墓標の位置を訪ねたが、電話に出た郷土史家の話によると、今はなくなったのかも知れないということだった。

7東側三神峯公園側からのアプローチ

土手には杉の切り株があった。藩政時代に杉は木材として使ったのだろう。そう思うと、私は昔人の叡智に触れたような気がした。両側は住宅地であるが明神社のあった場所の近く(太白区西多賀4丁目16番地界隈)は廃屋も結構目立った。平成を過ぎ時代も令和となり、世代交替が進んだのを改めて感じた。ここから100メートルほど進むと藪が行く手阻む状態となる。

8杉の切り株

横町コメント
残念ながら仙台藩士の鹿又戸兵衛と彼の父の墓標は見つかりませんでした。或い数年前に来ていたら明神社も墓標も発見できたのかも知れません。それだけに心残りは否めませんが、付近を見れば、世代交代や移住などで、仙台在住の末裔のかたがたもだいぶ少なくなったようです。それでも鹿又家の複数の家臣団に囲まれた威光は十分に感じられました。間者(スパイ)となって機密情報を伝える役を担ったとされる鹿又家には特異な存在を重ねます。

鹿又家については本日はこれくらいに留め、後の記事でいろいろと書きたいと考えています。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。
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