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この交差点が芭蕉の辻(松尾芭蕉とは関係がない)である。芭蕉の辻は藩政時代における仙台の交通の要衝であった。信号機の電柱のところに道標と石碑(説明書き)が建っている。ここをどこまでも真っすぐ行くと江戸に至る。

1辻から南側を望む

道標は明治安田生命仙台ビルの前に位置している。

2芭蕉の辻石碑

「北」と方角が書いてあるほうが奥州街道である。これに交わる左右の通りが大町である。

3道標

芭蕉の辻の由来には諸説あるようだが定かでない。「場所」が訛ったとも、芭蕉という名の虚無僧が居たとする説もあるが、虚無僧は松尾芭蕉とは別人で何ら関係ない。

4由来

仙台城から東に延びる大町である。ここを真っすぐ行くと全天候アーケードを有する中央通(昔は名掛丁、新伝馬町と呼ばれた)である。目と鼻の先に藤崎百貨店があるが、現在は再開発ビル建築の話が持ち上がっている。

5仙台駅方面

こちらは仙台城方面(西側)である。少し行けば重臣の屋敷があった辺りである。

6仙台城方面

仙台城の城下町は、大手門からの大手筋(大町の街路)とこれに直交する奥州街道(国分町の街路)を基準に町割がなされた。この十字路が芭蕉の辻であり、この沿道の大町、国分町の両町は城下の中心地、いわゆる目抜き通りだった。江戸時代後期の史料『仙府年中往来』によれば、芭蕉の辻を中心に歳の市が立ち、大いに賑わったという。う。この絵図には自動車が描かれているので大正初期のものと思われるが、服装(ほとんどが和服)や馬、駕籠が描かれているのが興味深い点である。

7明治後期?

横町コメント
道標の南面には江戸まで六十九次、日本橋まで九十三里と彫られています。藩政時代には江戸から仙台への移動時間は七日(飛脚などの速足で四日)ほど掛かったと言われます。このタイムラグを利して仙台藩祖の伊達政宗は様々な策略を仕掛け幕府の目を欺こうとしたようです。時代が進んだ今となっては仙台と東京の離隔はあってないようなものですが、往時の人々にとってはまったく異なるものがあったようです。ここから日本橋まで69もの宿場があったというのも極めて興味深い点です。

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8六百横町
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