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早いもので今年もシルバーウイークに入った。ゴールデンウイークと比べればややインパクトに欠けるものの、文化の秋たけなわということもあり、気候的には全く引けを取らない。気になるのは今後の台風14号の進路である。明日は一日雨降りのようだが明後日以降の秋晴れには期待している。さて、今日は今の自分の心境にぴったりな白楽天(本名は白居易)の漢詩を紹介したい。

白楽天(本名:白居易)詩人。字は楽天。号は酔吟先生香山居士。772年、鄭州新鄭県(現河南省新鄭市)に生まれる。子どもの頃から頭脳明晰と言われ、5~6歳で詩を作り、9歳で声律を覚えたとされる。 抜群の名家ではないものの、800年、29歳で科挙の進士科に合格する。35歳で盩厔県(ちゅうちつけん、陝西省)の尉になり、その後は翰林学士、左拾遺を歴任。このころ社会や政治批判を主題とする「新楽府」を多く制作する。
 
815年、武元衡暗殺をめぐり江州(現江西省九江市)の司馬に左遷。その後、中央に呼び戻されるが、まもなく自ら地方の官を願い出て、杭州・蘇州の刺史となり業績をあげる。838年に刑部侍郎となり、最後は842年に刑部尚書の官をもって71歳で致仕。74歳のとき自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させ、翌846年、75歳の生涯を閉じる。
 
白楽天は多作な詩人であり、現存する文集は71巻、詩と文の総数は約3800首と唐代の詩人の中で最多を誇り、詩の内容も多彩である。若い頃は「新楽府運動」を展開し、社会や政治の実相を批判する「諷喩詩」を多作したが、江州司馬左遷後は、諷喩詩はほとんど作られなくなり、日常のささやかな喜びを主題とする「閑適詩」の制作に重点がうつるようになる。このほかに無二の親友とされる元稹や劉禹錫との応酬詩や「長恨歌」「琵琶行」の感傷詩も名高い。

この時代に75歳まで生きたことは極めて稀で、今でいえば100歳くらいに相当するのか知れない。彼は50代半ばで志願して閑職に就いたが、元々権力に靡くような生き方は苦手だったようである。年老いてからは人に使われず、自分のやりたいようにしたいという願望があったのではないだろうか?これまで、白楽天の詩としては「卯時の酒」(明け方の酒)などを紹介してきたが、彼の詩は酒にちなんだものが多い。本日紹介する詩にも酒が登場する。千数百年前の人物ゆえ、肖像画は想像なのだろうが、柔和な表情からは若い頃の熱血官僚の頃の気難しさは微塵も感じられない。

1白楽天

紹介する詩は「耳順吟」(しじゅんのぎん)である。人間、三十代、四十代の頃は欲も多い。かと言って七十代、八十代ともなれば病気がちとなる。然らば、その中間にあたる五十代、六十代がちょうどよいのではないだろうか?

2耳順吟

六十歳の時の白楽天がこの詩で詠んだ心情を、今の自分に当てはめてみた。

六十代となった自分は幸いなことに、ウォーキングで鍛えた脚力も残っているし、歯も丈夫である。それと文学や歴史に興じるだけの心のゆとりもある。何よりもの救いは衰えない好奇心である。

然らば、シルバーウイークを迎えた今宵は静かに酒を飲み、青春時代を思い出して心置きなく酒を飲もうではないか?なにも六十代にになったからといって悲観するには及ばない。

3晩酌

横町コメント
皆さんは白楽天がこの詩で意図することをどう捉えましたでしょうか?私はまさに今の自分に言い聞かせねばならないような教訓を感じました。長い秋を謳歌するが如く休日前の酒を飲みながら、今置かれた心情を愛で、これからも充実したセカンドライフを送って参りたいと考えています。

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4六百六十六横町
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