fc2ブログ
 Willem van Twillert plays Bach, Jesus, Joy of Man's Desiring / Jesus bleibet meine Freude, 
リンク曲について
バッハ作曲の有名な「主よ、人の望みの歓びよ」である。パイプオルガンの奏でる荘厳な音色が大空間に流れるとき、例え個人主義者と言われようが、自分がこの世に生を受けた歓びをこの曲に託さないわけにいかない。自分に欠けているのが家族以外の人に対する思いやりであり、それを残された余生の中で如何にして高めて行くかが課題と認識している。但し、ブロ友様の中にはボランティア活動など世の為、人の為に福祉活動をしている方が居る。それも複数である。是非自分も見習いたいと思うが、忙しさにかこつけて、それをなかなか実行できないでいる。

話は変わるが、私は自分が死んでから何が残るかを常に考えて行動している。歴史随筆などの執筆もその一環だが、見方によっては単なる自己満足なのかも知れない。志賀直哉は「自分の作品によって他人を感動させること」を己の名誉欲とせず、他人への仁としているが、自己満足に終わらせない為にも、是非自分もそうなりたいと考えている。どうしてもそれが出来ないなら、せめて年金生活に入ってからでもいいので、ボランティア活動でもして、人生の終局を静かに向えたいと考えている。

バッハの「主よ、人の望みの歓びよ」のパイプオルガン演奏を聴く度に、私はそう思うのである。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
小さな春を求めての番ブラ
仙台市の本日の最高気温は8度だった。3月上旬並みの陽気と言いたいが、時折日が陰り、風の強い一日だった。今時の気象変動の激しさを察するに、英国の古い諺である「三月はライオンのようにやってくる」を思わざるを得ない本日の仙台の天候である。

私は昼頃、仙台市メディアテーク(中央の建物:仙台市青葉区図書館)に足を運んだ。目的は借りていた図書の期限の更新である。更新が済み、私は早春の市街地に繰り出すことにした。2月中旬頃までとは違い、何かが私のモチベーションを高揚させてくれていた。それは、はっきりと認識できるようになった春の気配である。

路地に入った。この辺りは東北一の歓楽街とされる国分町に近い。私は通りを往来する老若男女の胸中を推し量った。きっと、私と同じように春の日差しに誘われたに違いない。そう思うと胸の鼓動が高鳴るのを感じた。けして自慢でないが、歓喜する気持ちだけは少年の頃と少しも変わってない。

但し春の訪れを感じ、それに感謝する気持ちが少年時代の自分とは全く異なる。そんな境遇を思うに、自分も伊達に年を重ねたのではないという自負心のようなものが湧き上がってくるのを感じた。

仙台の目抜き通り、一番町(旧東一番丁)である。2月にしては結構な人出である。「春の訪れは人の心を解放に至らしめる」それを改めて、感じた今日の午後のひと時であった。

番ブラ(先人の言葉:東一番丁をブラつくこと)した後で西公園に向った。街路樹の根元に生える草は既に青み掛っていた。やはり春はすぐそこまで来ているようだ。否、今は既に十分に早春と言えるのかも知れない・・・

市民会館の脇から広瀬川を望んでみた。方角的には北西方向である。やはり真冬とは違う。河畔には既に春の光が満ち溢れていた。今年もようやく春がやってきた。私はこの景観を己の脳裏に焼きつけ、帰路につくことにした。

ミック挨拶
全国に散らばるブロ友様からは三寒四温の様子が日々伝わり、春の花も蕾から開花に至る昨今、改めまして、ブログをやって良かったと思います。梅前線は既に東北南部に達していますが、これからは各地から花便りも届きます。或いは渡り鳥も来るべき旅立ちの時に備えていることでしょう。私はそんなブロ友様からの便りを今年も心待ちにしています。

北の地域のお住まいのブロ友様には、毎年人として持たねばならない忍耐の大切さをご教示頂いています。はっきりと申し上げましょう。私はブログに関しては個人主義を卒業し、共存共栄の境地の大切さ(自分のブログと人様のブログは同じ環境に在り、どちらを欠いても成り立たない)を理解したつもりで居ります。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)