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昨日の朝、私はカフェ・ベローチェぶらんどーむ一番町店に立ち寄った。このカフェは立地もよく朝カフェとしては最良のスポットである。AM7時の開店で一番乗りにはなれなかったものの、二番目に並んでの入店である。

1いつものカフェ

運よく2階の特等席(角の席)が取れた。ここから朝の一番町を見渡すと、恰も空中遊泳しているかのような錯覚に陥るのである。🥺

2特等席

読書したのは紀田順一郎監修「日本人の手紙 旅先から」である。その中に私の気を引いた手紙があった。明治43年(1910年)竹久夢二(1884~1934)が27歳の夏、寄りを戻した妻の岸たまきと息子虹之助を伴い、房総方面(犬吠埼の近く)に避暑旅行した。

夢二一家は銚子から犬吠崎に向かい、海鹿島(あしかじま)の宮下旅館に滞在した。ここは太平洋に向かう見晴らしの良さで、明治から多くの文人が訪れた名所である。そこで夢二は、北海道出身の長谷川カタ(長谷川賢:当時19歳)に出会う。親交を交わすうちに夢二は彼女に惹かれ、海辺でデートを重ねた。

しかし二人は結ばれることのないままに終わったようだ。カタも夏休みが終わると成田へ戻った、父親は娘の身を案じ結婚を急がせた。4箇月後の12月、夢二はカタに会いに再び房総を訪れており、別れの際にカタの印象を日記に残している。

カタへのラブレターは全部で5通書かれているが、この手紙はあくまでも草稿であり、カタへの手紙が何通届いたのかは、はっきりとしていない。夢二は土地柄(海鹿島)にちなんでカタのことを”おしま”と名付けている。

3二人の肖像

実はおしまさんこと、長谷川コトは美人画「黒船屋」のモデルとなっている。夢二はうりざね顔の美人が好みだったようである。

4黒船屋掛け軸

インターネットから拝借した長谷川カタの画像である。夢二と出逢った時は弱冠19歳という若さであった。カタはかねてから作曲家の須川政太郎との縁談が持ち上がり、夢二からの告白との板挟みになったようだ。

5長谷川カタ

復縁したものの、夢二の女性遍歴は留まらなかったようだ。夢二の印象については、俳優の大沢たかお氏とも似ている気がする。

6夢二肖像写真

夢二とカタは犬吠埼の少し北の海岸でデートしている。二人の心境にどんな変化をもたらしたのか、興味深いものがある。妻子がいながら独身女性に心を惹かれる夢二。如何にも彼の浮気性を如実に物語る浮ついた話である。

7海岸

この手紙の草稿は5回に渡って書かれた長谷川カタへのラブレターの第一弾となる。印象としては非常に長文だが、夢二の文才を強く感じるものとなっている。「笑ったあなたの笑顔の中に私はとけてゆく。」はまさに夢二の殺し文句である。✋😮🤚これだけの長文が書けるのは、如何に夢二がカタに熱を上げていたかの証と解釈できる気がする。

8ラブレター

宵待草」は夢二の作詞による曲だが、揺れ動く夢二の心情(カタが人妻になろうとしているのを如何にして留まらせるか?)を表した曲である。デートで待ちぼうけを食らったことも想像できる内容となっている。

9宵待草

横町コメント
竹久夢二と言えば美人画で有名ですが、これが彼の”女好き”(女たらし)による趣向によるものであるのは誰しもが認めるところと捉えています。このようなスキャンダルには眉をひそめずにはいられませんが、夢二を語る際、これが彼の多くの作品を生み出す原動力になったのは疑うべくもありません。

宵待草の歌詞には謎も多いですが、却ってこれが視聴者に際し、様々な想像を引き寄せる要素に満ちている気が致します。カタとの出逢いの後で明治天皇が崩御し、時代は大正時代を向かえますが、「大正デモクラシー」を背景とした個人の自由や個性を重んずる思考は日増しに強くなり、これに呼応した人々が増えてゆき、夢二への評価が高まっていった気もします。

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10六百横町
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