fc2ブログ
宮城県の歴史 昭和の風景③ 仙台城址 宮城県庁 東一番丁 七夕祭り 伊達政宗 騎馬像


リンク動画について
懐かしい昭和の頃の仙台の紹介である。一番町はその昔、東一番丁と呼ばれ、往時から東北一の繁華街であった。1985年には歴史作家である司馬遼太郎が、『街道をゆく 仙台・石巻編』の取材として、一番町を始めとした仙台市街を歩いている。司馬は作品の中で、時計の下に支倉常長を象ったブロンズ彫刻(ブランドーム一番町に現存)が施されていることを著している。往時の仙台は今では考えられないほど大らかな時代であった。

※昭和30年代後半と思われる一番町(往時は東一番丁

1昭和30年代一番町

往時は肥料を積んだ牛車が通ったが、長閑な時代であった。一番町をブラつくことは「番ブラ」と言われ当時の流行語でもあった。

2牛車

これは5年前に撮影した一番町(仙台三越前)である。

3一番町2016年

これは昔の旧宮城県庁(昭和6年~昭和61年)である。

4昔の宮城県庁

これは現在の宮城県庁(平成元年竣工)である。雨水利用システムやソーラーシステム,空調や照明などの自動監視制御により、省資源・省エネルギーに対応した建物である。

5現在の宮城県庁

これは伊達政宗像であるが、初代の像であり、今は宮城県北部の岩出山に移設されている。

6柳原義達作昔の伊達政宗像

これは1964年に仙台城址に設置された伊達政宗騎馬像である。

7小室達作騎馬像全体

100万都市(政令指定都市)となった仙台を眼下見下ろす政宗公騎馬像の存在は宮城県人の誇りでもある。

8騎馬像

横町コメント
動画と静止画をご覧になり、皆さんは感じたでしょうか?昭和中期の頃の仙台は、今では想像すらできないような、アナログ時代全盛が醸し出す善き風情が漂っていました。学生の街ということもあり図書館や映画館もあちこちにありました。また娯楽の殿堂と言われた「ボンボン会館」(ボーリング・雀荘・レストラン・サウナなどの複合施設)も存在しました。ボンボン会館に関しては今後の記事でフォローできればと考えております。

本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
 ▼▼▼

9六百横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)