fc2ブログ
本日の11月7日、私は高速バスで郷里石巻に足を運んだ。(移動時間は1時間10分くらい)菩提寺で墓参りを済ませた後で、かさ上げされた北上川の河口の堤防の上を歩き、生家近くの住吉神社に向かった。河口の南浜地区には震災復興記念館も出来たが、その様子は後日の記事に回して、住吉神社(正式には大島神社)の近況をお伝えしたい。

先ずはこの画像をご覧頂きたい。以前は海抜1~1・5メートルほどしかなかった地盤がかさ上げされ、擁壁の上では海抜6メートルほどになっている。以前から大規模な土木工事(盛り土)が施されているのをブログで紹介してきたが、いよいよ完成が近いようだ。

1擁壁・かさ上げ

境内から尾島を見下ろしてみた。右側の細長い島が尾島、畳二畳ほどの小さな石が石巻のシンボルである巻石である。

2巻石

住吉神社の移転は無事に終わったようだ。一は以前とほぼ同じ場所で、5メートルほど海抜が上がった状況である。右側の建物は社務所のようだ。

3住吉神社

小高い丘は愛宕山である。以前は十数メートルほどの高さがあったが、境内がかさ上げされたため、低く見えてしまうようだ。住吉神社に面した場所は「袖の渡り」とも言って、源義経が渡ったとされる場所(実際に渡ったのは別な場所のほうが有力)であり、芭蕉も訪れたとされる由緒のある場所である。

4愛宕山お大島神社

石巻かほくメディア 猫の目より引用した完成予想図をご覧頂きたい。イメージが湧くものと察している。

5完成予想図

住吉神社を見た後は住吉町の志賀直哉の生家跡、旧相馬藩邸、戊辰戦争末期に榎本武揚や土方歳三などが立ち寄ったとされる毛利邸跡、過去に在籍した住吉小学校などを見て歩いた。

その後で生家のあった千石町(旧横町)を訪ねた。まさにこの町に私のルーツがあったと言っていい。ここはいつ来ても万感迫る思いを感じる場所である。

6横町

横町の隣町である久円寺通には墨廼江酒造がある。

7墨廼江酒造

墨廼江酒造は1845年(弘化2年)創業。蔵のある住吉地区は昔より水を司る神様を祭った墨廼江神社(現・住吉神社)があり、北上川西岸地区一帯は古来より墨廼江町だった。海産物問屋と穀物問屋を営んでいた澤口家が、「墨廼江」を酒名にして酒造りを行っていた商家より蔵を譲り受けて酒造業を開始した。

墨廼江と住吉は同じ意味を持ち、日本全国に点在する住吉町は海や川に面するところにあるようだ。(松本健一著・司馬遼太郎が発見した日本より)更に住吉は安曇野の「安曇」(あど)とも似ており、日本に辿り着いた海洋民族が関わっている地名と言われる。墨廼江酒造酒造関連以外で、この地名を唯一彷彿させるものが生家近くを流れる墨廼江堀(今は暗渠となっている)である。墨廼江堀は蛇田かいこほりとも言われた。

私の高祖母Rや曾祖母Mの時代は恐らく墨廼江堀を生活用水に使ったものと察している。

8看板

帰宅した私は、本日の余韻を胸に抱きつつ、郷里の酒である墨廼江 本辛を飲んでいる。酒好きだった我が祖父も恐らくこの酒を飲んだものと察している。そろそろ祖父の命日も近いので、今宵は殊の外感慨に浸っている。

9墨廼江で晩酌

横町コメント
石巻の住吉神社の近況はインターネットではなかなかヒットしないくらいマイナーです。それだけにブログで紹介する価値があると捉えています。細かい部分を除いて完成も間近なようです。そういう意味で、本日は石巻に足を運んで本当に良かったと察しています。

石巻に関する他の話題に関しては冒頭に述べた通り、後日に回したいと考えています。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
 ▼▼▼

10六百横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)