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Hasekura Tsunenaga the Samurai Ambassador to Europe in 1615 支倉常長


【コラム】
仙台藩士・支倉常長の末裔の支倉常隆氏が、去る12月5日に亡くなった。支倉常長と言えば伊達政宗の命を受けメキシコからヨーロッパに渡り、大国スペインとの貿易交渉を担った中心的人物であり、宮城県の誇りでもある。常隆氏は分家筋には当たるものの、支倉常長家の13代当主であられる。常隆氏は2016年に自宅近くで車にはねられ寝たきり(植物状態)で、回復することなく亡くなられたようだ。謹んでご冥福を祈りたい。

1新聞記事原文

実は、支倉常隆氏とは面識がある。2015年1月の仙台藩志会で同席したのである。https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1060.html常隆氏のオーラには圧倒させられるものがあった。毎年伊達政宗公の命日に当たる5月24日には裃を着て、伊達家18代当主の伊達泰宗様、並びに当主直々の家臣の末裔として、ご一緒に政宗公の供養をされておられたかたである。

2壇上の常隆氏

2015年1月25日に開催された仙台藩志会では私は初参加であった。常隆氏は仙台藩志会の要職(常任理事)を務めておられ、折り目正しいかたという印象を受けた。風貌はヨーロッパから常長が持ち帰った支倉常長像のイメージそのものであった。

常隆氏にはその時、私が書いた歴史小説『金色の九曜紋とともに』をお渡しした。『金色の九曜紋とともに』は支倉常長の生き様を描いた歴史小説であり、その後文芸誌「みちのく春秋」に連載された。常隆氏が不幸にも事故に遭われたのはそれから一年後であった。

3名刺の肩書

支倉常隆氏逝去の訃報が地元新聞に掲載されたのは昨日(12月9日)のことであった。ブランドーム一番町には支倉常長をかたどった時計がある。対座しているのは宣教師のルイス・ソテロだろうか?

4時計の装飾

横町コメント
たった一回限りの対面でしたが、私はあの日間違いなく支倉常長の子孫であられる支倉常隆氏にお会いしました。支倉常長と言えば交渉術に長けた人物という印象が先立つのかも知れません。それは確かに当たっていますが、それだけでは支倉常長の全体像を表した言葉とは言えません。秀吉の奥州仕置きに関しては旧大名であった葛西氏や大崎氏の残党狩りに駆り出されたり、仙台藩に宣教師を招くために寺の焼き討ちにも駆り出されたりしたのです。そのような活躍の場を与えられた常長は実は負い目もありました。それは父の素行不良に伴う切腹とお家存続の危機です。

父の犯した罪により、支倉家は取り潰されてもおかしくない状況まで追いやられましたが、政宗公は常長の奮起に期待をかけ、このような様々な任務を命じたのです。それに着実に応え続けた常長に与えられた大きな任務がスペインとの貿易交渉でした。このようなことから支倉常長は主君の伊達政宗同様に、文武に秀でた武将と言っていい気が致します。お会いした常隆氏は徳と気品を持ち併せながらも、侍の末裔としての気骨に溢れた予想通りの人物でした。

ちなみに、支倉常長家の14代は常隆氏のご子息であられる正隆氏が継いだようです。いつしか機会がありましたら、仙台藩志会で正隆氏とお会いし、御尊父の人となりについてお話したいと考えております。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
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5六百横町
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