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日曜日の本日、私が向かったのは定禅寺通のカフェ・ベローチェ仙台定禅寺通店である。目的は読書と、創作への構想を練ることである。私は通勤のため、毎日仙台市の目抜き通りである一番町(古くは東一番丁と言われた)を通っているが、その縁もあり、いつしか一番町に関することを書いてみたいと思っていた。

1カフェ・ベローチェ外観

そんな私にヒントを授けるような著物を図書館で見つけた。柴田量平著『仙臺・東一番丁物語』である。

2新たな著物

柴田量平(1889~1980)は文学、芝居、絵画、郷土史研究と、明治から昭和を多彩に生きた仙台商人である。生え抜きの仙台っ子とも言える柴田量平の数々の随筆とともに、『仙臺・東一番丁物語』が書かれている。生まれが街のど真ん中の東一番丁ということもあり、彼は幼少期からエンターテイメントの分野において、多くの情報に触れ、様々な刺激を受けて育ったようだ。彼は女形としても舞台に立っている。


3女形を演じる柴田量平

彼は文才の他に、画才もあったようだ。『仙臺・東一番丁物語』の冒頭には、数十ページにも渡って彼が描いた挿絵が掲載されている。百聞は一見に如かずと言うが、挿絵のあるとないでは雲泥の差がある。自分で書いた文章に自分の描いた挿絵がつけば、読者へのアピールの度合いも大幅に増すのでないだろうか?

4グラビア

若かりし頃の柴田量平である。メインの『仙臺・東一番丁物語』には古地図(藩政時代と大正~昭和にかけて)も掲載されている。『仙臺・東一番丁物語』は定価が税抜きで¥3,500だが、インターネットでは倍近い価格が付けられ、プレミアがついているようである。内容は極めて詳細に昔の東一番丁を描いたもので労作と言える。尋常でない情報量に際し、量平は郷土愛が人一倍強かったことを思い起こさせる。

5若かりし日の量平

仙臺・東一番丁物語』に触発された私は早速、一番町に繰り出した。コロナも下火になり、昨日と同様に通りには多くの老若男女があふれていた。

6一番町

こちらは一番町に直交する通りで化物横丁憲兵隊横丁森徳横丁など様々な呼び名がついた通りである。この通りを真っすぐ進めば東二番丁と交わるが、この通りだけでも語りつくせないほどの逸話があったようだ。今となってはこの通りの旧称を知る人もごく僅かになった気がする。

7化物横丁・憲兵隊横丁・森徳横丁

ここは同じく一番町に交わる通りで虎屋横丁と呼ばれる通りである。付近には藩政時代に糠蔵があったとされ、一番町との辻にある石碑にそのことが刻まれている。

8虎屋横丁

横町コメント
私は書いてみたいと心に決めたことを文芸誌に寄稿することで実現しています。今は現在『東街道をゆく』をみちのく春秋に寄稿していますが、令和4年の寄稿を先取りして考えるのならば、そろそろ次の作品も視野に入れなければなりません。

私はその有力な候補として一番町のことを書きたいと考えています。柴田量平氏の書いた昭和以前の一番町を視野に入れ、新たな視点で現代の一番町を描きたいのです。その為には今の一番町の現況を把握する必要があります。東北一の繁華街ゆえ、調べなければならない情報の量は非常に多いですが、それだけにやり甲斐も感じます。本日はそのような考えを浮かべながら一番町界隈を歩いてみました。

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9六百横町
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