厳寒の津軽と或る上司の寒中見舞い
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コメント
こんばんは
懐の深い方は聞き上手でもありますね。
時には晩酌をしながら回顧するのも良いと
思います。
過去の大切な思い出を語っていただきありがとうございます…。Sさんとの酒の席でロック曲をカラオケで歌われたのですね…。いかに貴兄がロックに親しんでいたかという証ですね…。Sさんはどう受け止められたのかというのが気になる点ですね…。
鷹揚磊落なSさんということですが、残念ながら、私の仕事人生において、知り合った人物の中にはそのような方はおりませんでしたね…。その点においては、貴兄は恵まれた経験をされたと思います…。
ichanさん、ありがとうございます。
おはようございます。そうおっしゃって頂き随筆を書いた甲斐がございました。Sさんは今も心の中に存在している。そう信じてセカンドライフを歩みたい所存です。
おはからいにより、本日もお志を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。
boubouさん、ありがとうございます。
おはようございます。自分としては寒中見舞いに上司が来てくれただけで、雑念が全て消えるようなものを感じました。Sさんは何度か自分の記事に登場しましたが、聞き上手で人望が厚かったです。貴兄のおっしゃる通りでこういうかたは滅多におりません。それだけ自分を殺して人を立てるということは難しく、懐が深くなければ出来ないものと捉えています。
話は変わりますが、自分の私小説もそろそろ解禁の時が近いと捉えています。ぼかして言えば柵がどんどん減って行くという理由です。せめて自分もブログでは聞き上手に回りたいと考えております。本日も有意義な話題を提起して頂きました。おはからいに感謝しております。コメントを頂きありがとうございます。
自分の生き方に影響をもたらした人物のことは、いつまでも忘れ得ぬ存在なのだと思います。
声なき声さん、ありがとうございます。
記事の趣旨に添うコメント恐れ入ります。大恩人であるSさんのことを胸の内に潜め感謝と誠実を忘れず、セカンドライフを歩んで参りたい所存です。おはからいにより、本日も格別なる追い風を頂戴しました。ありがとうございます。
こんばんは
現役時代には
ずいぶん寒い地方でお仕事をされたのですね。
以前にもS上司のことをお書きになったことがありましたね。
素晴らしい上司だったのですね。
いつまでも横町さんの道しるべともなられる
人間として素晴らしい上司に恵まれたのですね。
つや姫さん、ありがとうございます。
おはようございます。ちょうどブログを始めた頃のことでした。上司がいたから今の自分がある。改めてそれを心に言い聞かせてセカンドライフを歩んで参りたいと考えております。
聞き上手は本当に少ないです。先ずは「自分のことを聞いてね」というかたが圧倒的に多いですね。自分はこれでは良好なキャッチボールは出来ないと考えております。聞き役に徹することができる人物は度量が広いと言えるのではないでしょうか?実生活でもブログでも自分はそう在りたいと考えています。
現役時代、厳寒期の北東北の仕事は結構経験しましたが、そのお陰でメンタルが鍛えられた気がします。ご配慮により、本日もお引き立てを頂戴しました。つや姫様、今回もいいウイークエンドをお送りください。ありがとうございます。
過去にもSさんとの思い出の記事があったと記憶しております。冬は厳寒の地となる津軽、岩木山から吹いてくる風は厳しい寒さです。津軽の人は春の訪れを首を長くして待っています。
S上司は寒中見舞いに来て下さったのですね。
どんなにか横町さんも勇気づけられたか、尊敬するSさんとの思い出は心に深く刻まれて色褪せる事はないと思います。
sさんが亡くなって11年、時折思い出して
リンク曲を聞きながら一献傾けられるのもご供養になりますね。
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