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本日、足掛け9年に渡って世話になっている文芸誌「みちのく春秋」への寄稿を終えた。肩の荷が下りた気持ちである。最初に寄稿したには2014年の秋号で、仙台藩士・支倉常長に関する歴史作品であった。あれから8年経とうとしているが、振り返れば感慨深いものがある。

自分が寄稿している作品のほとんどが歴史に関することである。郷土愛が高じての歴史作品だが、自分の場合はブログから生み出された作品と言っても言い過ぎではない。歴史を書く上で気を付けていることは、強い思い込みがあっても偏り過ぎないことである。歴史は誰も見ていないことなので、必ずと言っていいほど異説が存在する。これまで史実とされたことの他に、異説も調べた上で自分の見解を導き出す。これが基本である。

それと思うのは、これまで誰も手掛けていないことに足を踏み入れることに特に意義を感ずることである。今は吉田松陰の石巻訪問に関することをいろいろと調べているが、私の知る限りでは、これまでこのことを詳細に渡って書いた文献はない。私としてはこういう未踏の域にこそ、執筆することの歓びを感ずるのである。

1みちのく春秋

私が2014年以降に寄稿した作品をご覧頂きたい。今は『東街道をゆく』の連載中で、春号に掲載される作品は”その九”となる。歴史の醍醐味を一言で述べるならば「知の回廊」である。一つの史実に過ぎないことも繋がることで点から線になる。そして線も集まれば面になる。この知の広がりに接する時、私は無類の喜びを感じるのである。8回の連載を経て『東街道をゆく』も佳境に入ってきたが、最近感じるのが線や面への昇華である。

2これまでの作品

私とみちのく春秋の関係を取り持って頂いたかたが創始者である井上康(前編集長)である。井上氏との出逢いは2014年の7月20日であった。私の歴史作品である『金色の九曜紋とともに』の原稿を持参して、一番町の仙台三越の最上階のカフェでお会いしたのが縁であった。井上氏は3年前の2019年に体調を崩され入院したが、その後退院され復調し、現在に至っている。後任に編集長を譲った後、みちのく春秋には今も寄稿し、大きな存在感を示されている。井上氏は既に80に近いが、健筆を奮われているようで何よりである。

3井上氏

横町コメント
考えて見れば私がブログで歴史作品を書いたがために得たみちのく春秋との縁でした。ブログあっての歴史作品であり、ブログをやっていなければみちのく春秋との縁もなかったのかも知れません。今は、ブログとみちのく春秋の両輪が噛み合うことで、自ずと作品が生み出されるものと解釈しています。

それだけに、どちらも大切にしたい所存です。振り返れば、みちのく春秋にブログで知り合った作家K氏(宮城県亘理町在住)を紹介した経緯もあります。そのかたも今はレギュラーとなっています。人脈は宝と申しますが、人脈についてはこれからも重要視して参りたい所存です。

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3六百横町
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コメント

こんばんは~♬

この文芸誌との関りについては、
最初から読ませていただいていますが・・
もうそんな歳月が経ったのですね。
継続は力なりです。
今後のご活躍も期待しています。

URL | 布遊 ID:-

こんばんは

「みちのく春秋」への寄稿までのご苦労、
お疲れさまでした。
反響が楽しみですね。

URL | ichan ID:-

「継続は力なり」といいますが、足掛け9年、通算28作品の掲載、なかなかできないことだと思います…。ブログで歴史記事を書かれていたこと、井上康氏との出会いがあったこと…。それが今につながっているのですね…。
これからの貴兄のますますのご活躍を、心より祈っております…。。。

URL | boubou ID:-

布遊さん、ありがとうございます。

おはようございます。いつもお励ましを頂戴し感謝しております。文芸とブログの両立を心掛けてから十年近く経った気が致します。その間、ブロ友様から得た恩恵は計り知れないものがございます。

改めて、自分のブログは共存共栄から成り立っているのを自覚する次第です。これからも人様のブログに訪問した際には善き聞き役に徹するようにしたいと考えております。

その理由を申し上げます。ニーチェは自著「人間的なあまりにも人間的な」の中で「ある人は権力で、ある人は学歴で、ある人は同情を誘う哀れさを人にアピールすることで注目を集めようとしている。だがこの目的はほとんど果たされていない。なぜならこれらの多くの人は自分が主役であると同時に観客であるということを忘れているからだ。」と述べていますが、これはブログ観や作品への価値観を変えるのに十分なインパクトを含んだ御託でした。

この言葉を肝に命じて、自分だけが主役という考えを捨て「自分を含めた皆さんこそが主役」と考え、今後も文芸活動をして行きたい所存です。ご配慮により、本日も格別なる追い風を頂戴しました。おはからいに感謝しております。コメントを頂きありがとうございます。

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。労いのお言葉痛み入ります。「みちのく春秋」のことをブログで取り上げているサイトはほとんどありません。それでも取り上げる理由は自らがアナログ媒体とデジタルの懸け橋になればいいという理由です。

文芸誌は時代にそぐわないという考えもあるのかも知れませんが、まだまだ存在感は十分にあると解釈しています。アナログにしてもデジタルにしても読者には変わりありません。読者在っての作品、読者在ってのブログというスタンスは今後も貫いて参ります。

ご配慮により、本日もお志を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

10年近くにわたって寄稿を続けてこられたことに、まずもって敬意を表します。
大きな成果が得られますことを確信いたしております。

boubouさん、ありがとうございます。

あの日のこと(井上氏との出逢い)を昨日のことのように覚えております。ブログと文芸誌が繋がったことで創作意欲が一層高まったわけですが、拙文章が活字になることに対して責任のようなものも芽生え、毎回締め切り日が近づくと神妙な気持ちになります。

昨日は数日に渡って少しずつ進めてきた校正などの地道な作業から解放され、胸を撫でおろしています。ブログにおいては自他の共存が重要と考えています。人様のブログにおじゃました際に聞き役に徹すると言うのが自分の方針ですが、これは今後も変わりません。

改めまして、今後とも宜しくお願い申し上げます。ご配慮により、本日もモチベーションを頂戴しました。コメントを頂戴しありがとうございます。

声なき声さん、ありがとうございます。

分不相応なお言葉を頂戴し恐縮しています。ブログにおいて欠かせないのは相手に対するリスペクト、デリカシーと考えています。それと五常への付加価値としては謙譲も挙げねばなりません。

これは円滑な人間関係を維持するのに欠かせない要素(誤っても人様を損じないということへの意志表明)と認識しております。自他の共存なくしてのブログ運営はありません。私が聞く態度を重んじる理由がここにございます。

お陰様で、本日もお引き立てを頂戴しました。おはからいに感謝しております。コメントを頂戴しありがとうございます。

こんばんは~☆

今日も一日お疲れ様でした。文芸誌「みちのく春秋」への寄稿を終えて今はほっとしていられる事と思います。あしかけ9年間28回の掲載これは大変な事です。ご苦労もあったと思います
前編集長との出会いが横町さんの執筆活動を高みへと導いて下さったと思います。
長文のコラムや歴史記事もすらすらと書きあげてブログにおいてもその力は格調の高さがあります。今後もご活躍くださる事をお祈りいたします。

ボタンとリボンさん、ありがとうございます。

おはようございます。恐れ多いお言葉大変恐れ入ります。自分としては強い思い込みが文章を書かせると考えていますが、それが高じると狷介や独尊にも繋がるので、そうならないように注意しています。ニュートラルを模索するということになりますが、その中で自分がどう思うのかを淡々と書くということです。

歴史を書く際に心掛けるのは「史実に近いと思った道筋をなぜ選んだのか?」をできるだけ明確に示す(論拠を挙げる)ことです。それには大きな流れを掴まねばなりません。対象としては、他のかたが書いていないものほど挑み甲斐があります。

例えば、吉田松陰の石巻訪問に関しては、登場人物一人一人の取り巻きや行動、動機を洗い出す必要があります。それが無名な人物となると想像に委ねる領域が増えて参ります。

これはジグソーパズルを組み立てるシチュエーションにも重なるものを感じます。最初は苦痛を伴う地道な作業ですが、ある部分に達するともつれた糸がほどけるような感覚に見舞われます。これが歴史の醍醐味と言えるのかも知れません。

時に私小説も書きますが、プライベートを曝け出す覚悟(一種の開き直り)で取り組んでいます。坂口安吾や童門冬二は私小説について、公共の場で自らの裸を晒すようなものと述べていますが、自分もこれと似た心境で取り組んでいます;

おはからいにより、本日もお励ましを頂戴しました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。

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