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前書き

湯川秀樹(1907~1981)はノーベル物理学賞を日本人で初めて受賞した人物だが、彼は同時に哲学者でもあった。図書館で彼の蔵書を見ると十数冊もあり、驚くほどの作品(随筆が多い)を残している。プロフィールを簡単に紹介したい。


理論物理学者、理学博士、京都市出身。原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言。1943年文化勲章。1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより湯川理論の正しさが証明され、これにより1949年、日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞した。京都大学、大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。


実は拙ブログで8年半前、NHK総合TVの教養番組あの人に会いたい 」のDVDを見た際の感想を掲載した経緯があった。彼の人間形成の過程を語る時、幼少期にまで遡る。4、5歳のころから祖父に孟子や老子の漢学の音読を強要されたという。最初のうちはなぜこんなことをさせられるのかわからず悲しかったと述べているが、実はこのことが後の少年期における文章読解力をつける大きな礎になったと言う。


国語、文章読解力はあらゆる学問の基本であるが、むろんそれだけではない。これらの儒教思想は、何の為に学問を学ばねばないのか?という根本的志向を彼に教えるに至ったのである。湯川秀樹にとっての思想は科学とセットと言っても言い過ぎでないようだ。本日は最近読んだ彼の随筆『具象以前』(1961年発表)を取り上げ、熟年期を迎えた彼の信条に迫ってみたい。


1湯川

随筆『具象以前』粗筋を箇条で記す。

・多くの研究者は内面的な努力云々よりも実績で評価される。若い頃の湯川の考えもまさにその通りであった。

・但し、今(50歳を過ぎてからと思われる)は違う。最近は研究者が何のために努力しているのかや何に苦労しているのかを、重視しなければならないという見方に転じてきている。

・絵画や彫刻の如く、研究論文が日の目を見ないで終わるというケースは日常茶飯事である。

・マスメディアによる情報は具象化されたものばかりだが、これは科学や芸術の分野にも言えることである。即ち、精査されたものだけが具象化されたものとなり得るのである。

・人間は誰しも具象化以前のものを所有している。そしてその混沌に目鼻を付けようとして努力する。

・最近の自分(湯川)は人生の意義を結果の是非よりも、汗水垂らして努力しようとする仮定に見い出そうとしている。


2随筆集

横町読後感想

多くの人は自分こそはビッグになりたいと夢見ますが、これが成就するのはごく一握りに過ぎません。涙ぐましい努力をしたから、必ずしも成功に繋がるとは限らないのです。であるのならば、成功を成し得なかった者は得るものがないのでしょうか?いやそんなことはありません。努力した過程が尊いと言えれば、それはそれで十分意義のあることでないのでしょうか?


湯川博士は40代前半でノーベル物理学賞を受賞するに至りましたが、このような輝かしい成功のみが人生の価値を決めるものではないということを暗に言いたかったのではないでしょうか?儒教思想に「善を行うことは人知れぬところで行われてこそ、その真価が光る」という思考がありますが、これと同じように、仮に現在行っていることが成就に至らなくとも、その過程で精いっぱいの努力が行われれば、意義のあるものであったと言えるのでないでしょうか?自分はこの随筆を読んでそのように感じました。


最後に湯川秀樹の名言を紹介し、お別れしたい所存です。現実はその根底において常に簡単な法則に従って動いており、達人のみがそれを洞察する。現実はその根底において常に調和しており、詩人のみがこれを発見する」彼は偉大な物理学者でありながら、哲学者でもありました。ここで言う詩人とは、恐らく彼自身のことを含めて言っているものと解釈しています。


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コメント

こんばんは

こんばんは

科学と哲学の関連性は以前から言われていますが、
最先端をいく方にとってはそうなるのでしょう。
東洋の教えもある面で同様なのかもしれません。

URL | ichan ID:-

物理学とは、言葉的に言えば、「物の道理」を明らかにする学問といえるわけですが、物の道理とは何かということになりますと、私的には自然現象、自然の成り立ちだと思っております…。簡単な例えでいえば、なぜ水は高いところから低いところに流れるのか、水はなぜ温度によって、氷、水、水蒸気と姿を変えるのかというようなことだと思うのですよ…。
それをどんどん、思索的に高めてゆくと、哲学や心理学にも至るのではないかと思うのですよね…。

URL | boubou ID:-

こんばんは~♬

湯川秀樹が、祖父に孟子や老子の漢学の音読を強要されていたことは、初めて知りました。
それも、4~5歳からなのですね。
わたしも、人生の終盤となっても何もできていないと思い。せめて、今を・・過程を・・楽しみたい心境です。

URL | 布遊 ID:-

かつては漢文の素読が学問のだとされていた時代があったと、聞き及んでいます。
効率の悪い教育の典型として批判されることの多い手法ですが、湯川秀樹のみならず、多くの人物を育て上げたのが漢文の素読ではなかったでしょうか。
現代に生きる人間として、教育のあり方を考え直す必要があると痛感しています。

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。湯川博士の随筆を読んだのは昨日の朝のカフェタイムでした。熱が冷めないうちにと考え、記事にした次第です。自身がノーベル物理学賞を受賞しているので、趣旨としては若干説得に欠けるのでは?とも思いましたが、これを改め、逆に成功者からだからこそ言えることなのでは?と受け取った次第です。

読者に対してそういう印象を与えるには謙虚な姿勢が欠かせませんが、博士は自ら修得した儒教思想である「錦を衣て絅を尚う」を悟り、既に自分のものとされていると受け止めました。それだけに含蓄を感じた次第です。機会があったら他の随筆も読んでみたいと考えております。

お陰様で、本日もお志を頂戴しました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。

boubouさん、ありがとうございます。

湯川博士の遺した含蓄ですが、サイエンティストである貴兄の分野と重なるものが多いのでないでしょうか?幼少時に学んだ儒教思想が彼の人格を形成したのは想像に難くないですが、成功者として少しも驕り高ぶりが感じられない。これには大変感心した次第です。

博士の周囲には努力をしても報われなかった研究者も多かったものと察していますが、微塵の嫌みなく、努力した者を褒めたたえる。随筆の根底にそんな含みがあるのを痛感した次第です。江戸時代の儒者・三浦梅園は「学問は置き所によりて善悪分かれる。臍の下よし、鼻の上悪し」と述べていますが、それを地で行くのが湯川博士と受け止めております。それだけに重みのある随筆です。

ご配慮により、今回も有意義なご意見を聞かせて頂きました。おはからいに感謝しております。コメントを頂きありがとうございます。

布遊さん、ありがとうございます。

おはようございます。湯川博士が強い影響を受けた学問を広義に言えば漢学、もう少し範囲を狭めれば儒学と受け止めております。あまやかされて育った自分としては「目から鱗が落ちる」ような博士の幼少時のエピソードです。博士の兄弟の多くが識者ということで、湯川家の教育方針にも注目しています。

祖父がここまで教育に関わるというのは現代では考えられませんが、時代背景(家を重んじる気風・富国強兵・ナショナリズム)も大いに関与したと認識しております。

過程を重視するとはわかっていながら、なかなか出来ないことだけに博士の言葉には蘊蓄を感じました。おはからいにより、本日もお引き立てを頂戴しました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。

声なき声さん、ありがとうございます。

本作は狭義に捉えれば後進や周囲の研究者に向けられたメッセージとも取れますが、視点を変えれば世間一般へのメッセージにもなり得る。それだけに、なかなか含蓄のある随筆と受け止めております。

幼少時の漢文音読ですが、これをを単に棒読みするのと意味を理解するのでは雲泥の違いとなる。恐らく博士はこのことについて早期に気づいたのでないでしょうか?ここに非凡なものを重ねました。今の学校教育では思想の押しつけはご法度のようですが、学童や生徒にはヒントだけは与える必要性を感じます。

一見離れて見える科学と哲学が、実は根底において繋がっているのを知る上で、奥深いものを感じた次第です。お陰様で、本日も有意義な御意見を賜りました。おはからいに感謝しております。ありがとうございます。

こんばんは~☆

ノーベル物理学賞の湯川秀樹、名言集や格言集なども執筆しておられる様ですね。4~5才頃から孟子や老子のお勉強漢学なども学んでいたのですね。
「具象以前」は見ておりませんが、物事の達成はそこに至る過程が大切というようなことが書かれている様です。人生の支えとなる言葉に出会えるとその人の人生も良い方向へと変えられるかもしれません。

あらためて偉大な日本の物理学者だったのですね。

ボタンと

おはようございます。湯川秀樹博士、千里眼を持ち合わせ、人の世を達観されていますね。ノーベル賞を受賞してもけしてふんぞり返らないのは、根底に儒教の教えである謙譲があったものと捉えています。これ(謙譲の精神)がない識者が近年増えていますが、博士が健在だった時代は、賢者ほど頭を低くしなければいけなかった気が致します。後学に対するエールをさりげなくオブラートに包む。けして自分の栄誉を鼓舞しない。そんな博士に限りない尊敬を抱き、掲載に至った次第です。

「現実はその根底において常に簡単な法則に従って動いており、達人のみがそれを洞察する。現実はその根底において常に調和しており、詩人のみがこれを発見する」ですが、実はこの言葉には追従する言葉があり「現実は痛切である。あらゆる甘さが排除される。現実は予想できないほど豹変する。あらゆる平衡は遅かれ早かれ打破される運命にある。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。」と続きます。

この二つのフレーズを深読みしますと、ここで言う達人と詩人は湯川博士自身を指しているようにも受け取れますが、オブラートで包んだがために、少しも驕り高ぶりになっていません。その着眼と筆力が尋常でないと捉えています。

本作を読み、考えかた次第によって救われるものを感じました。努力が報われるか否かは二の次であり、「人間は努力すること自体が尊い」という信念。これを自分が持てるか否かはわかりませんが、目指す方向性だけは見えてきた気が致します。

ご配慮により、本日も格別なるお引き立てを頂戴しました。おはからいに感謝しております。コメントを頂きありがとうございます。

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