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随筆『八十八夜を迎えて』


ついに今年も八十八夜を迎えた。八十八夜は立春から数えて88日目にあたるが、かの著名な唱歌「八十八夜」の歌詞に歌われるように、いよいよ夏も近づいた感がある。幸いにも今日からゴールデンウイーク後半にかけては晴れマークが並んでいるようなので、今後の好天には是非期待したい。


ちなみに、9月1日頃の二百十日は立春を起算日として210日目に当たる。このように立春を起算として考える慣わしは農作業と密接な関係がある。八十八夜を過ぎると霜が降りなくなり、茶摘みや稲の種まきが可能となる。農家としてはそろそろ繁忙期に入る頃とも言える。二十四節気とは異なり雑節と言われる八十八夜だが、イメージとしては眩いばかりの青春時代を感じる。作家の坂口安吾は『風と光と二十の私と』という作品を書いたが、二十歳という年齢は人間としてもっとも輝かしい時代であり、風と光と言う形容詞がピッタリとはまる気がする。話が飛躍し過ぎかも知れないが、八十八夜の頃を人間の年齢に例えれば二十歳という印象を受ける。


サラリーマンに話を移そう。昭和の頃、よく5月病という言葉が聞かれた。転勤族や新入社員が職場に新たに加わる4月を経て、月末からゴールデンウイークに入る。ここまではいいのだが、連休明けになると休み癖がついて出社するのが億劫になり、ひいては欠勤などを繰り返し、仕事に穴を開けるようになる者が出てくる。これが5月病である。時代が平成を経て令和になっても、このような傾向は多かれ少なかれあるのでないだろうか?職場鬱とも重なるものがあるが、この時期特有のうららかな気候には、そんな魔力が潜んでいるのかも知れない。


ちなみに新潟出身の坂口安吾は中学の頃、よく授業をさぼって学校の近くの墓地の裏の草むらに寝ころんだという。(後に不良のたまり場ともなった)そんな彼が屋外で寝ころんでも寒くも暑くもない気候を思えば、ちょうど八十八夜の頃だったのかも知れない。


八十八夜と言って、自分自身のことで思い当たるのは、三十代後半の頃福島の会津の只見町で仕事をしたことである。非常に不便な地域で外出もままならない場所であったが、人情に厚く、近隣を歩いただけで見ず知らずの人から挨拶をされるような所であった。


1原野


自分としてはまだまだ人間的に未熟な時代で、対人的にはほろ苦いことも多かったが、それなりにいい思い出もある。それはこの時期、野山の雪解けが進み、日増しに春の装いを感じられるということである。自分が宿泊した昭和の古い旅館の廊下の窓からは、ガラス越しに只見の長閑な山々が窺えた。ガラスが透明ということは夜は外から廊下が丸見えとなるが、人気がほとんどないローカルな場所ではそんな邪推などは全くの無用と言ってよかった。


多少なりとも、人は自らの環境が変わるのを疎む傾向がある。もちろん生まれつき思い込みの激しい自分もその一人だが、このようなローカルな環境に囲まれて仕事をする場合は、そのハードルが低くなる傾向になる。それに拍車をかけたのがこの町の厚い人情であった。夜はたまに同宿の人(仕事の仲間)から碁に誘われた。自分としては覚えたての笊碁であったが、そんなことは二の次であり、誘われること自体が歓迎するべきことであり、長い夜を如何に退屈することなく過ごすかに関心が向いた。


夜になると無性に人恋しくなる。このような気持ちになったのは只見出張の時が初めてであった。ローカルになればなるほど住民の人情は深くなるものだが、冬の間豪雪に見舞われる只見町では相互の助け合いの精神は欠かせない。時に秋から晩秋にかけて、多くの年配者はネガティブになり勝ちだが、情の深さと春を迎えた歓びは他の地域とは格別なものを感じた。そんな只見にとって、本格的な春の訪れを告げるのが八十八夜である。只見の仕事場で迎えたこの時の八十八夜は自分の中で特別な意義を持つものであった。


もし、季節の進行を止められるストップウォッチがあったとしよう。あなたならそのストップウォッチのスイッチを一体いつ押すのだろうか?私の場合は迷うことなく八十八夜である。それだけ八十八夜に対する思い入れは深いのである。梅雨入りまであと一箇月から一箇月半ほどある。然らば明日から梅雨入りまでは八十八夜の余韻を噛みしめ、かぐわしい季節を心行くまで謳歌したい。


横町挨拶

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2六百横町

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コメント

こんばんは~♬

静岡育ちのわたしは、八十八夜と言えば、
新茶です。新茶の香りが漂ってきます。
そして茶畑が目に浮かんできます。
1年で一番良い気候でもありますね。
ストップウォッチで止めたい気持分かります。

URL | 布遊 ID:-

88割る365の簡単な計算をしてみたところ、約0.24という結果が出ました…。立春から数えて、季節の1/4が回ったということになりますね…。この頃から、雌伏していたあらゆる生命が活発に動き出すということでしょうか…。
貴兄が例えられた通り、人生における青春期とも言えそうです…。
また、八十八という数にこだわったのは末広がりの八を重ねることに喜びを重ねたのかも入れませんね…。
ご自身の貴重な思い出も語っていただき、ありがとうございました…。

URL | boubou ID:-

八十八夜はまさに「青春時代」そのものです。
身も心も軽やかになるこの季節を、心から満喫しいたいものです。

布遊さん、ありがとうございます。

おはようございます。数年前から、いつか八十八夜にちなんだエッセイを書きたいと考えていました。思いつくことをいろいろと並べてみました。我が青春時代とも重なるものがございます。

新茶と言う言葉の響きを噛みしめたい。そんな気になる昨日の心のときめきです。ご配慮により、本日もお引き立てを頂戴しました。おはからいに感謝しております。コメントを頂きありがとうございます。

boubouさん、ありがとうございます。

こちらこそ拝読を賜りありがとうございます。なるほど、元科学者である貴兄らしい高察と承りました。自分としては八十八夜と二百十日の間隔の日数(厳密には、210ではなく209-88=121)が一年365日の約三分の一ということにも気づきました。暑さ寒さは彼岸まではけして異なった見解でないのですが、農業を営む方には八十八夜や二百十日のほうが身近に影響を及ぼす日と言えそうです。

8のゾロ目は結構車のナンバープレートとしても人気がありますが、八には末広がりといういい印象があり、よくわかる気が致します。おはからいにより、今回も有意義なご意見を聞かせて頂きました。ご配慮に感謝申し上げます。コメントを頂きありがとうございます。

声なき声さん、ありがとうございます。

三十代後半に只見で仕事をしました。白虎隊で有名な会津若松から車で一時間半以上もかかります。人口も少なく世間から隔離されたと言ってもいい場所でした。その時に向かえた八十八夜は格別なものがございます。心情に添って頂き感謝申し上げます。

おはからいにより、本日もお引き立てを頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

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