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去る4月27日、泉区の将監団地をブログに開催したが、今回は将監団地にある人工湖・将監沼を紹介したい。沼の周囲は厳重にフェンスが張りめぐらされている。もちろん事故防止の観点からである。もちろん釣りはできない。水辺に近寄れないようになっている。

1フェンス越し

沼の周りにはご覧のように遊歩道が配置されていて、市民の憩いの場となっている。

2地図800幅

実は将監沼の周りは桜の名所(森の陰となったところに桜並木が植えられている)である。もう三週間ほど前に来ていれば、見事な桜並木が見られたのかも知れない。

3東側の道路

これはYOU TUBEから引用した、昭和40年代と思しき航空写真である。昭和43年に造成されたばかりの新興住宅地「将監団地」の様子が見て取れる。当時は仙台市ではなく泉町と言われた頃であった。現在とは異なり緑が多いのが印象的である。

4昭和40年代

これは現代の航空写真(Google3D立体画像)である。非常に住宅が多いが、将監団地の人口は現在14,000名強となっている。

5Google3D立体画像将監沼

松島丘陵から出る樹枝状丘陵に挟まれたの出口に堤防を築いて造られた人造湖である。将監堤とも呼ばれる。仙台藩士・後藤寿庵治水工事に共鳴した横澤将監(ともにキリシタン)が当地の農民を説得して、寛永年間(1624年~1643)に築堤し、七北田川左岸の河岸段丘(現泉中央副都心)に広がる棚田への灌漑用水として用いた。


横澤将監から、当溜め池は「将監沼」あるいは「将監堤」と呼ばれる。また、1968昭和43年)から7年をかけて将監沼周囲の丘陵造成して造られた住宅地は、横澤将監の名を取り将監団地と命名された。実は横澤将監は伊達政宗の命で、太平洋を渡った支倉常長の帰りの便の責任者に任命された侍であった。三人の仙台藩士はいずれもキリシタンだったことになる。このあたりは主君である伊達政宗が好んでバテレンを藩内に呼び寄せた背景を強く重ねる。


6フェンスの上から

周囲は住宅地だが、交通量の多い道路が通っているせいもあって、けして閑静とは言えない。

7付近は住宅地

木立が邪魔をして、遊歩道からは湖面がきれいに望めない。木々が少なくなった時、たまに視界が開ける程度である。

8木々の合い間

横町コメント
江戸時代初期の侍が新興団地にその名を刻む。これは結構珍しいことなのでないでしょうか?治水や感慨に、この沼が関わったと聞き、感慨深いものを抱きます。次回訪れた際には遊歩道を一周し、ウォーキングに興じたいと考えております。

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9六百横町
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コメント

こんばんは

過去の様子を映されたと思われるものと
比較すると一目瞭然。
開発の様子が見てとれます。
昨日のコメ返しはするまでもなく、例示
すれば、宇都宮市のLRTは一般市民や
メリットありとする工業団地の社員さん達
にもメリット無し。
某国会議員の関与する学園の通学利便性の
ためと言われていますし、自分も一時通勤
した工業団地の社員さんにとっては通勤路を
妨げられるため、迷惑な存在です。

URL | ichan ID:-

将監沼、太平洋を渡った支倉常長の帰りの便の責任者に任命された侍、横澤将監の名に由来するとのこと…、また彼はこの沼の堤の築堤にもかかわったのですね…。宅地造成される前の地形図を見ても、なかなか明瞭な窪地ではなく、築堤して、果たしてどれほどの規模の沼ができるのかの判断は難しかったと思われます…。底の掘り下げと築堤を同時にやったように想像されますので、なかなかの大工事経ったのではないかと思いました…。

URL | boubou ID:-

こんばんは~♬

かなり大きな人口湖なのですね。
1周するのに時間が掛かりそうです。
団地人口も14000人は凄いです。
我が市は、総人口で8万人ほどですから・・
こういった場所では、フェンスは必要なのですね。

URL | 布遊 ID:-

「将監沼」や「将監団地」などの名称の響きに、歴史が込められていることを感じます。
地元の人からも敬愛されていたのだと思われます。

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。将監沼への感想を頂戴し感謝しております。次回は沼の周りを一周したいと考えています。そのような動機づけが出来て何よりと考えています。

本日も有意義な御意見を賜りました。コメントを頂きありがとうございます。

boubouさん、ありがとうございます。

今回の散策を経て、横澤将監の成したことについていろいろと調べてみたくなりました。支倉が乗ったサンファンヴァイティスタ号は、少なくとも太平洋を一回半往復したようです。(半と述べたのは日本に再び戻ってこなかった)

横澤がアメリカ大陸(メキシコ)に渡った際は嵐にも遭い100人以上の死者を出した難航海だったと聞いています。これだけでネタになるのかも知れません。先人が書いてない域に足を踏み入れることで、特にモチベーションが高揚する気が致します。

これを一つの手掛かり、足掛かりと考え、横澤将監のことを書きたいと考えています。おはからいにより、本日もお志を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

布遊さん、ありがとうございます。

おはようございます。この沼を訪れたのは二度目と記憶しています。数十年前なのですがその頃は歴史にあまり関心のなかった時代ゆえ、意義が全く異なります。これを契機に執筆への足掛かりとしたい気が致します。

将監団地、それでも最盛期(1万8千人)よりは人口が減ったようです。少子高齢化の波が顕著に数値に出ているものと考えています。今はため池にフェンスのない所は少なくなりましたね。水難事故防止の観点で人命が最優先された結果と言えますが、昔と異なり寂しいものも感じます。

ご配慮により、本日も格別なる追い風を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

声なき声さん、ありがとうございます。

横澤将監はこの団地では知名度が高いものと察しております。どんな侍だったのか?今後調べてみたいと考えています。そんな動機づけを得ただけで大きな収穫があったと自覚しております。

おはからいにより、今回も厚誼を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

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