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昨日、宮城野区図書館で「仙台市史 特別編7(城館)」を借りた。その中に興味深い絵図があったので紹介したい。実は宮城県の県名の由来は宮城野原にあると言ってよく、このあたりは貴族の詠んだ和歌の歌枕にもなっている。宮城野とは広義には陸奥国宮城郡の平野(広大な沖積平野)を指す。
その昔は葦や葦の生い茂る原野であり、秋ともなれば鈴虫の鳴き声が聞こえる風流な地であった。宮城野にちなんだ和歌としては
「宮城野の もとあらの小萩 つゆをおもみ 風をまつごと 君をこそまて」(『古今和歌集』)
「さまざまに 心ぞとむる 宮城野の 花のいろいろ 虫のこえごえ」(『千載和歌集』)
などがある。

往時の東街道はそんな風光明媚な場所を通っていたのである。源頼朝の藤原攻めにも使われたが、有事以外の東街道は結構のんびりとした趣だったのではないだろうか?熊谷万山によって描かれた宮城野原をご覧頂きたい。描かれたのは昭和10年頃ということである。興味深いのは万山は練兵場などを端折り、史跡や寺社を中心に描いていることである。

宮城野八幡神社桓武天皇坂上田村麻呂の勧請により建立)の位置が現在の位置と合わないが、これは昭和27年に移設されたことが、その理由ということである。敢えてなぞらなかったが、画像の下の辺りを右から左に横切る道が東街道である。手前の小高い丘陵は鞭館と言って、文治の役(1189年)に藤原泰衡が源頼朝の軍勢を迎え撃つために陣を敷いた場所である。鞭館は現在榴岡公園となり、市民の憩いの場となって久しい。

錬兵場があった場所の一画には楽天生命パーク(プロ野球楽天イーグルスの本拠地)などのスポーツ施設が建ち並ぶセクションとなっている。その他はマンションの敷地などに当てられ、残念ながら往時の面影はほとんど残されていない。

1熊谷万山修正済み宮城野原鳥瞰図

宮城野八幡神社は乳銀杏で有名だが、昭和27年にこの地に移ってきた。毎年晩秋になると、黄葉した乳銀杏が見られる神社である。乳銀杏は樹齢から言って、昔からここにあったのだろう。或いは歴史の生き証人と言っていいのかも知れない。

2宮城野八幡神社

城郭放浪記さんのサイトの資料をコピーさせて頂いた。赤い線が私がイメージした東街道である。東街道は鞭館(榴岡)と南目城の間を通過している。

3城郭放浪記地図

道路(仙台市道)を隔て左が鞭館のセクションである。右側の高層マンションが練兵場のあった場所である。

4鞭館付近

ここで明治時代後期と現在の東街道の推定図をご覧頂きたい。明治後期の地図には宮城野八幡神社はまだなかった(昭和27年に現在の位置に移設)ことをお含み頂きたい。

5宮城野八幡神社と東街道の位置

最後に岡陽一郎著「大道 鎌倉時代の幹線道路」から引用した資料(横町が加筆)をご覧頂きたい。黄色が東街道東廻り推定ルートである。多賀城へはほぼ最短ルートで向かう道筋となっている。大きく迂回する西廻りルートと異なり、戦などの有事に使われた証ではと考えている。

6岡洋一郎著「大道 鎌倉時代の幹線道路」

横町コメント
「百聞は一見に如かず」と申しますが、熊谷万山の描いた鳥瞰図の中の東街道の経路を見て、往時の面影を想像しております。ほぼ自分のイメージ通りのようです。

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7七百横町
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