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 相馬流山 
リンク曲「相馬流山」解説byミック
相馬流れ山は相馬にとって国歌ともいうべきもので、極めて格調高い調子で歌われる曲である。ここでいう「流山」とは相馬中村藩(奥州相馬藩)祖の故郷である下総の国「流山」(今の千葉県流山市)の地名にあやかったものである。この歌は1323年、奥州相馬家六代藩主・相馬重胤が従三十余人を率い、住み慣れた総を後に、奥州相馬地方に下向した際、口ずさんだものとも言われる。

「相馬流山」の起源とも言われる相馬重胤公が家臣とともに陸奥行方(現福島県浜通り地方小高地区)に下向してきたのは、それまでの居住地であった下総での勢力争いの末。居づらくなったとも、或いは源頼朝から賜った遠方の地である此の地が家臣の謀反や他からの侵略で奪われそうな懸念があったからとされる。

一方でこの歌は土地の酒造りの時にも歌われたり、鎌倉武士の間に親しまれたとも言われる。元々はの間に歌われたもので、相馬野馬追には出陣式時に歌われ、曲も歌詞も極めて格調高く、「東奥の君子国」(民俗学者の故岩崎敏夫氏の命名)と称される相馬中村藩の名誉を讃え、歌詞には野馬追の景観を含んだものが多く見られるのが特徴である。
秋元由美子氏画による相馬重胤


以下コトバンクより引用後ミックが編集
相馬重胤(生年不詳~1336)
陸奥相馬家6当主1323年(元亨3下総相馬郡(千葉県茨城県)から陸奥行方郡(福島県浜通り)にうつり、後に小高城を築き、奥州相馬氏の祖となる。後醍醐天皇の討幕軍に加わり所領を安堵される。以後足利方に属し、1336年(延元2年12月25日)鎌倉で南朝側の北畠顕家の軍に敗れ家臣十数名とともに自害した。通称は孫五郎。

彼が1323年(元亨3家臣とともに陸奥行方(現福島県浜通り地方小高地区)に下向してきたのは、それまでの居住地であった下総での勢力争いの末。居づらくなったとも、或いは源頼朝から賜った遠方の地である此の地が家臣の謀反や他からの侵略で奪われそうな懸念があったからともされる。
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相馬流山を聞きながら感極まる晩酌
さて、前置きが長くなったが連休四日目(最終日)の今日はYOU TUBEで相馬野馬追を聞きながら日本酒で晩酌に及んでいる。酒はもちろん辛口、つまみは銀杏(缶詰)である。味覚としてはやや酸っぱい印象があるが銀杏の素材の特徴である歯応えと風味は十分に備えている。本日は矢の如く過ぎ去った四連休を振り返り相馬焼きの猪口で相馬武士道の精神に浸っているのである。

最近亘理時代の思い出ばかりブログに書いたが、相馬でも得がたい体験をしたと思っている。2014年から3年連続で相馬野馬追を見たこともいい思い出だが、相馬時代の思い出の中で際立つのは、何といっても奥州相馬のルーツとも言うべき相馬大田神社(現南相馬市)を訪ねたことであった。

相馬太田神社(以下Wikipediaより引用後ミックが編集)
平将門公から十二代にあたる相馬師常公が源頼朝の軍に従い、奥州藤原氏との合戦での功績により奥州行方郡の地を賜り、同族の千葉氏から相馬を継ぎ、奥州相馬の初代となった。その後、元亨3年(1323年)22日、下総国守谷城より相馬孫五郎重胤公が御国換えの際、この地へ移り住み、氏神妙見尊を奉じて宮祠を創建して祀った。相馬家は妙見信仰の信望者で、藩主が篤く信仰していた鎮守・妙見を下総から持参し、敷地内に鎮座させた。その妙見堂が相馬太田神社の由来とされている。この神社は中村藩相馬氏の氏神として代々崇拝されてきた。

案内板によると、相馬孫五郎重胤公が御国換えの際、氏神として持ち来たり祀られたもので相馬の発祥地なり、「霊験あらたかにして生とし生ける物は其の御分霊受けて居り神人、万物の生死栄枯はことごとく、其の司宰にももるる事なく福祉を万民にたれ拾い信仰なければ富貴延命を保ち長く子孫繁栄し牛馬家畜の守護神でもある。」とされる。相馬家は妙見信仰の望者で、領内にはここ太田神社の他に中村神社、小高神社と併せて相馬三妙見社と呼ばれている。
ミック挨拶
相馬での思い出は数え尽くせないものがございますが、城跡や合戦場のみでなく、文豪志賀直哉の祖父の相馬藩士・志賀直道の住居跡を訪ねたことも印象に残っています。その様子は随筆「相馬藩士志賀直道の生き方」に綴っています。

明治21年安藤仲太郎画「志賀直道肖像」(志賀直哉長男志賀直吉氏所蔵)


私は志賀直道に自分の祖父に重なるものを感じています。即ち、寡黙ながら一徹であり、その全身から「俺の背中を見ろ。男とはこうあるべきだ」と発するオーラです。志賀直哉は祖父から殆ど怒られたことはありませんでした。これは私も全く同じです。しかしながら、怒られたことがないのにも関わらず自分の人生に多大な影響を与えた人物というのは非常に不思議な気が致します。また、大変不思議なことに直哉の生家と私の実家は数百メートルしか離れていません。私はここに何らかの因果を感じるのです。私は祖父を尊敬していますが、祖父に対する想いは祖父からのメッセージに綴っています。

実はこの随筆「祖父からのメッセージ」は私の原点が見え隠れする作品です。この随筆、昔からのブロ友様には殆どお目通しを頂戴していますが、最近ブロ友様になられたかたには未読と察しております。宜しければお目通し願いたい所存です。相馬武士道との出会い。奥州相馬藩祖・相馬重胤公への想い、志賀直道と自分の祖父と重なり…それにしても私にとっての相馬転勤は大変大きな意味があったと受け止めております。私は祖父から受け取ったメッセージ(人はどんな境地にあっても困難を避けることなく、全うな生き方をしなければならない)を座右の銘とし、これからも日々精進して参りたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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コメント

No title

こんばんは!

郷土愛や居住地愛が強く昔の事をしっかり記憶されすらすらと思い出される等何時もながら頭が下がります。

志賀直哉の生家と祖父様の実家が近かった事を知り不思議な縁が現在相馬に惹かれる所以ではと思います。

お休みの最終日美声の三橋美智也の流れる様な馬追歌を
聞きながら心地良く美味しいお酒に酔われてる姿が想像されます。満足の休日を過ごされた様に感じています‼

URL | suisyou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさんこんばんはm(_ _)m

小学校2、3年生の頃に、親から買って貰ったトルストイの『イワンのばか』を何度も読んでいた為か? 小学校高学年から中学生にかけて武者小路実篤を読み、その後志賀直哉を知らずに読む流れに。
高校生になった頃に、武者小路実篤や志賀直哉などの白樺派はトルストイから影響を受けていたと。

その志賀直哉が石巻市で生まれた事は、宮城に来て知っていたが、そのご先祖様が相馬藩の武士だったのは、今日ミックさんのブログで知りました。

ん~~~勉強になりますm(_ _)m感謝

URL | サクラパパ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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ミック様こんばんは😃🌃
相馬流れ山の尺八の音色は感極めますね
日本人なら尺八と日本酒合いますね
とても良い民謡を有り難う御座いました。
機会が有れば相馬に行って見たいですね

URL | ともたん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん、おはようございます。

三橋 美智也さんの民謡や歌謡曲流行りましたね、私も良く聞きました、今聞きながらコメントを打っていますがお酒を飲みながら聞く民謡もイイですね。

ナイス!です。

URL | 好日写真 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

おはようございます。
相馬流れ山を聴きながらお酒を飲まれ
自身の思い出や祖父様の事を浮かべられると言うのは
とても素敵な時間の過ごされたかですね。
気持ちもリラックスされながら多くの思いが
浮かばれたと思いました。
過去の記事も懐かしく思い出されました。
志賀直道に自分の祖父が重なる、というのも
ご父祖様への尊敬も多く感じられます。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

つい先日主人と三橋美智也の事を話していたばかりです。
今、彼の「相馬流れ山」を聞くことができて感無量です。

連休最後の夜「相馬流れやま」を聴きながらの晩酌
この上もない至極の時でしたでしょうね。

URL | ゆうゆう ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 不あがりさん
私のエッセイのテーマが「祖父からのメッセージ」ですが、この年になってようやくメッセージの意味がわかるようになりました。きっかけは精神的不調を患って、その後立ち直りかけた際、墓参りに行ったのです。その時、心の中で口ずさんだのがポルトガル国歌でした。
歌詞の和訳は
海の勇者、気高き人々。勇敢で永遠なる国、今こそ再び立ち上がれ。ポルトガルに栄光を! 追憶の霧のかなたから、おお祖国よその声を聞け。 偉大なる祖先の声を聞け。汝に勝利をもたらすその声を。
です。
この中の偉大なる祖先の声を聞けというのがキーポイントになりました。そうして私は最後の祖父母との旅行(牡鹿半島の金華山)で祖父の言いたかったことが理解できたのです。

貴兄のおはからいにより、本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 62まきさん
定年前に相馬転勤になった私ですが、今振り返ると大変大きな意味があったと受け止めております。それは尊敬する作家の志賀直哉の祖父の直道が相馬藩士で、その屋敷跡を訪ねる機会に恵まれたことです。

これは追い風に違いない。そう思うと公私に渡ってモチベーションが高揚してきたのです。

本日もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 雲MARUさん
昨年知り合った貴兄に8年前に執筆した随筆「祖父からのメッセージ」を読んで痛み入っております。
朴訥な祖父でしたが、とりわけ曲がったことが嫌いで、とても頑固な面がございました。私はそのまま祖父の性格を受け継いだ気が致します。

ルーツ調べも祖父母への恩返しのつもりでやりました。後は今まで調べたことを元に、途切れた部分を繋ぎ合わせて作品に表したいと思っています。

雲MARUさんには本日も激励を賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 布遊~~☆さん
定年間際の自分にゆかりのある地名を正確に書いて頂き感謝しております。志賀直哉と祖父・直道の接点は偶然ですが、何かに因果を感じた相馬転勤でした。
直哉との同郷や相馬藩士だった祖父など、多くの接点があったからこそ、こうした随筆も書けたと捉えています。

布遊さんには本日も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ぼたん♪さん
2014年から3年連続で相馬野馬追を見る機会に恵まれ因果を感じています。因果と申したのはそれまで伊達のことばかり書いていたからです。相馬の歴史を学ぶことで、相馬から見た伊達を知ることが出来、幅が出来た気が致します。

銀杏は苦いですが、それだけに辛口の日本酒と良く合います。本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> boubouさん
お尋ねの件ですが、1883年生まれの志賀直哉は石巻に満2歳までしか住んでおらず、その時祖父はまだ生まれていませんでした。

相馬武士道と言えば、1600年、関ヶ原の戦いの直前、東軍に与した仙台藩主伊達政宗が中立であった相馬領を通過して帰国しようとした際、相馬氏家中では「長年の宿敵である政宗を討って恨みを晴らすべきだ」という声が高まった。これに対して相馬藩士、水谷胤重は「相馬藩は代々そのような騙し討ちのような事はしてこなかった」として反対論を述べ、藩主の相馬義胤がその意見を採用し、政宗を討たなかったことが思い浮かびます。

卑怯な振る舞いはしないとは誠に天晴れな武士道と受け止めております。貴兄のおはからいにより、本日もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

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> suisyouさん
大変申し訳ございません。志賀直哉の生家と近いのは私の祖父ではなく、私自身です。祖父の生家は西に数キロ離れた大街道という場所でした。今思い起こすと定年前に相馬勤務となったのは、公私に渡って大きな追い風であったと認識しております。

それは相馬郷土研究科に籍を置き、新たな人脈が出来たことです。もちろん執筆のネタも相当増えました。suisyouさんのおはからいにより、本日も格別なるエールを賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> サクラパパさん
志賀直哉と武者小路実篤は親友でしたが同じテレビ番組にも出演していたことを知りブログにリンクしたことがございました。https://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/34895972.html(拙記事ゆえインタネット上の安全を保障します)

私は直哉から多大な影響を受けましたが、老境となって目指したいのが、このインタビューに出てくる志賀直哉のセリフ「人に感動を与える欲望」に生きることです。好きな義太夫を例に取っているところが直哉らしいと受け止めております。

サクラパパさんのおはからいにより、本日も厚誼を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ともたんさん
相馬流山は意味を噛み締めることで名曲となります。例え小国であっても誇らしく生きる。この歌にはそんな思いが込められているような気が致します。そう言えば旦那様も尺八を吹かれるのですね。

ともたん様には本日も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 好日写真さん
相馬と言えば野馬追が有名ですが、その野馬追になくてならないのが「相馬流山」です。彼らのルーツは坂東武士ゆえ、「白村江の戦い」で敗れた新羅の血が入っているのかも知れません。

貴兄のおはからいにより、本日もお励ましを頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> joeyrockさん
石巻と相馬にゆかりのある志賀直哉ですが、私の生家や定年前の転勤先を考えると、不思議な因果と受け止めております。今でも時々、相馬のことを懐かしく思い出しています。

往時開通していなかった常磐線の代わりに毎日代行バスにも乗りました。これも今となってはいい思い出となっております。

joeyさんのおはからいにより、本日も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> ゆうゆうさん
相馬流山を聞いて頂き感謝申し上げます。実は一年三箇月ほど前まで相馬に勤務していました。有名な戦国絵巻相馬野馬追は何度も見ました。その感動(相馬武者の熱き心意気)は今でも忘れることが出来ません。

ゆうゆうさんのおはからいにより、本日も激励を賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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こんばんは(^^)

相馬市に転勤になり、色々と得る物があったのですね~
好きな歴史も知ることができたり♪歴史を追い掛けることによる人との繋がり♪

お酒を呑みながら、銀杏をツマミに最高です!昔の事を思い返す時間もいいですね。
この四連休は有意義に過ごされたのですね~
祖父様からのメッセージをきちんと受け止められて全うされているように思います。

URL | あ~ちゃん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> あ~ちゃんさん
武士道を意識して生きる私ですが、時として奥州相馬家にもその礎を求めております。かつては伊達と敵対しながら、共に讃えあう。これは今、私が実生活で取り組んでいることです。

武士道には敵味方の名誉を重んじる精神がございます。これを心掛ければ難しいより戻りも不可能でない。敵対した武将の召抱えなどを含め、私はそれを現代社会に活かせないか日々模索しております。

本日も格別なる追い風を頂戴しました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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