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 ラデツキー行進曲 ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート 
リンク曲「ラデツキー行進曲」について
人が人を好きになるなど理由などない。然らばこれは曲にも当てはまるのでないだろうか?とにかく聴いていて爽快に感じるのが行進曲であり、ラデツキー行進曲である。自分の中では新春に聴いてこれに勝る音楽などないような気がする。もちろん、その前提として自分の心が澄んでなければならない。セカンドライフを順調に歩む今だが、いい波はいつまで続くか全くわからない。だが先のことを憂い悩むことなど何もないと思っている。それはその時になったら考えればいいと思うのである。とにかく今は己に与えられた束の間の至福を謳歌したいのである。

話は変わるが、画像に目を移せば指揮者の表情がいい。抑えるところは自分の表情や身振りで演奏者に己の意志を伝える。そして演奏者はこの指揮者の意思に敏感に反応し、双方が息の合ったところを見せる。観客の手拍子には彼らへのそんな評価も含まれているのではないだろうか?
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古い手袋への愛着
今日はさもない話をしたい。歴史の記事はエネルギーの使い方が違うので連続で掲載すると疲れる。従って今日は肩の凝らない手袋の話をしたいのである。これは或るメーカーの作業用合成皮革手袋である。手の平側(左)の表面を見て頂きたい。新品のうちはこのようなエンボス模様の滑り止めのついた合成表皮で覆われている。

しかしそこは合成革の悲しさ。四、五年ほど経つとこのエンボスの表皮がボロボロに剥がれてくるのである。ほとんどのかたは寿命がきたとお考えなのでないだろうか?ところが私の場合はこれからが本番なのである。「これからが…」と述べたのは表皮が剥がれ終わってからが、この手袋の真骨頂だからである。但し、この表皮が完全に剥がれるまでは、最初に剥がれ出してから三年近くはかかる。但し、これは自然に剥がれるのを待った場合の期間であって、意図的に自分で剥がせばもっと短期間(一、二年)で剥がせる。

下の写真が今回見つかった古い手袋である。見つかったというのは昨シーズン着用して棚の奥のほうに仕舞い、今シーズンはずっと見つけかねていたからである。ご覧の通り表面のエンボスは全く残ることなく完全に剥がれている。この使い古した生地素材が手に抜群のフィット感をもたらすのである。フォーマルなシチュエーションには使えないが、この手袋は通勤、プライベートを通して重宝し、相馬転勤時においても良き冬のパートナーとして活躍してくれた。

私はこの手袋が見つかり、モチベーションが高揚した。早速代用していた手袋に替えて本日の散歩で着用してみた。やはりフィット感は最高であった。これで明後日からの出社が楽しみである。


ミック挨拶
私はモノの価値を値段や人の価値観で決めておりません。こだわりが人一倍強いので人がいいというモノを鵜呑みにせず、自分の価値観の中で考えるのです。これは必ずしも天邪鬼という意味ではございません。あくまでも自分の物差しを使ってモノの価値を判断するという意味です。傾向としてはオーソドックスで質実剛健なものを好みます。強いて言うならばブランド品とは縁がないといっていいでしょう。それは外見は最低限度の身だしなみがあればいい。人は外見でなく中味である。「人は外見を気にする前に中味を磨くべし」と思うからです。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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