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最近、図書館で「日本史新聞」という本を借りた。内容が非常にユニークで史実を、現代のメディア視線で捉え論評を加えている。執筆されたかたは恐らく新聞か歴史読本の記者のキャリアをお持ちなのでは?と考えている。扱う年代が幅広く、何と石器時代から近代までとなっている。


1日本史新聞

紙面の中の宣伝広告(月刊アルカイックなど)はもちろんジョークだが、これがなかなか面白いのである。一例を掲載する。史実を挙げた上での寸評は嫌みがなくて、上質なジョークだけに笑える気がする。


2広告の一例

本能寺の変」は単なる歴史上の出来事というよりも、天下人として求められる要素は何なのか?を日本人に訴えかけるような出来事であった。信長の辞世の句となった「是非に及ばず」は一体何を意味するのか?この言葉をそのまま取れば「止むを得まい」となるが、信長からすれば「これまで俺はこんな生き方をしたのだから、いずれはしっぺ返しも在り得る。これぞ因果応報である」という悟りのような含みもあったのかも知れない。


歴史の奥深さは常に推理が付きまとうという点でないだろうか?その為には、その人物にまつわる大きな流れを知る必要がある。信長は確かにやり手であり、迷信などを一切信じることのない超合理主義者でもあった。然るに、一方では暴君でもありサディスト(信長は討ち取った武将の頭蓋骨に金箔を施して並べたり、頭頂部の頭蓋骨を切り取って盃代わりにするなど猟奇的な面もあった。一説に、討ち取った武将への敬意もあったと言うが、死者に対する冒涜に他ならないというのが私の見方である)でもあった。


芥川龍之介の『地獄変』ではないが、そんな生き方(徳を欠いた生き様)をすれば、自ずと我が身に振り返って来よう。部下の明智光秀には、恰も物を扱うような対応を行っている。これぞ因果応報と言えるのでないだろうか?本能寺の変に対して私はそのような想いを抱いている。もう少し彼に徳があれば或いは天下を取れたのかも知れない。


3本能寺の変の信長「是非に及ばず」

日本史新聞の主幹である最上孝太郎氏は「日本の近代史は幕末に始まったのではなく、安土桃山時代には始まっていた」としているが、これには頷くものを感じる。即ち、織田信長による武士団の強化(鉄砲を多く取り入れてライバルたちを撃破していった)が、欧米列強の日本の植民地化を未然に防いだからである。但し長きに渡って、武力による強権だけで人心を集めることは不可能である。中国の長い歴史を振り返って頂きたい。長続きしない統治を見れば一目瞭然。長い目で見て、強権政治が徳治政治に劣るのは明らかなことである。

4平成15年主幹の言葉

横町コメント
日本史新聞は日本史を広く浅く知りたいというかたに向いているのかも知れません。歴史を振り返り、その史実を論評することはそう容易いことでありません。自分も文芸誌に作品を寄稿していますが、大局観がないと難しいことであると認識しております。

日本史においては、先ずは広く浅く我が国の歩んできた歴史に馴染み、その後で興味の湧くものを深く掘り下げればよいと考えています。そういう意味において本著は名著と言える気が致します。

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5六百横町
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