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3年前から故郷石巻に住吉神社の大規模な改変工事をレポートしているが、本日は去る9月10日(土)の石巻訪問の際に撮影した写真をもとにして、住吉神社周辺の最新の状況についてお伝えしたい。

このGoogle3D立体画像は工事が始まる前の立体画像である。右が北の方角である。私の生家のあった横町(現千石町)とは目と鼻の先の距離である。よく見ると護岸に応急の堤防が設置されているので、震災後の画像と思われる。右下の灰色の屋根の大きな建物が鉄工所、その左の赤い屋根の建物は旅館である。後で現状をお見せするので、読者の皆さんにおいてはこの二つの建物を記憶しておいて頂きたい。

1以前の住吉神社

これが6日前に護岸から撮影した写真(河口側)である。右側の擁壁を見て頂きたい。住吉神社の敷地が3メートルほど嵩上げされているのがおわかりかと思う。

2下流を望む

これは神社の西側の愛宕山(住吉山・立烏帽子山とも)と呼ばれる南北約50m、東西約30m、標高9m程の小山の頂上から撮影した境内の画像である。石碑を始めレッカーを使って様々なものを設置しているようだが、恐らく石巻教育委員会監修と神社側の協議による設置と思われる。ちなみに、11年前の大震災の津波では、周囲の道路は冠水したもののこの小山は水に浸かっていない。

3住吉神社境内

これは昨年(2021年)の11月に撮影した上流側の写真である。目視だが境内の標高は4メートルくらいと推察される。

4昨年11月撮影:嵩上げ状況

昭和50年代と思われる住吉神社護岸(インターネットから借用)である。右側に鐘楼と思しき建屋が写っている。

5昭和50年代

現在の鐘楼である。今回の移転を機に架構材(木材)や瓦は新しくなったようだ。

6現在の鐘楼

これは71年前の1951年(昭和26年)にアメリカの軍医であるジョージ・バトラー氏(1911~1974)によって撮影された画像(カラー写真)である。ポーズをとって写真に写っている人物は同僚のアメリカ兵・フランク・ウォン氏(MIYAGI 1951の説明書きより)とされる。

7鐘楼72年前

撮影地点は神社の北側である。盛り土された法面のところに鉄工所と旅館があったが、今はその縁を偲ぶことさえ困難である。

8鉄工所と旅館

横町コメント
そろそろこの工事の竣工に近づいたようです。インターネットではなかなか工事の過程がヒットしませんが、自分がその記録を残さねば誰がやる?と自問自答しながら、記事を書いた次第です。次の更新では竣工の状況をお伝えできるものと考えています。

住吉という地名は墨廼江(すみのえ)に由来すると言われています。墨廼江とは現石巻の右岸(西岸)を指すものとされます。墨廼江は自分のルーツが根付いた処だけに深い思い入れを抱いています。在籍した住吉小学校には仙台藩の米蔵が18棟ありました。10日にはその跡も見て参りました。校庭のすぐ脇には、幕末時に土方歳三榎本武揚が立ち寄った毛利邸もありました。

そして住吉町には文豪志賀直哉(1883~1971)の生家や相馬藩邸もありました。自分は偶然にもこのような歴史に彩られた場所に生を受け、大変感慨深いものがございます。余命いくばくかが脳裏を掠める昨今、自分に出来ることは我が郷里を後世に語り継ぐこであると認識しております。幸い私は文芸誌「みちのく春秋」の同人誌会員になっているので、事情が許す限り今後も同誌に投稿を心掛けて参りたいと考えています。

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9六百横町
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