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去る9月11日(日)若林区の畳屋丁を訪ねた。住居表示は仙台市若林区畳屋丁となるが、セクションとしては非常に狭い地域(東西≒350m、南北≒250m)である。

1地図畳屋丁

由来は町名の由来は文字通り畳職人たちが住んだことからこの名がつけられたという。畳屋丁は南染師町の北にあり、東は六十人町(足軽町)に、西は穀町に接する町。 寛永年間末(1643年)頃までに取り立てられたとされる。現場は古い低層住宅と中層のアパートが同居している。残念ながら藩政時代の職人町を偲ぶものは皆無に近く畳屋は一軒もない。左のビルがアーバンハイツ河原町である。住居表示としては畳屋丁だが、最寄りの地下鉄の駅名をアパートの名前につけたようだ。

2畳屋丁

町内の西側にはカトリック教会と幼稚園がある。町内には市道が東西に横切っている。枝道は袋小路や梯子状となっている。

3案内板

Google3D立体画像で畳屋丁の位置を確認して頂きたい。奥州街道沿いの穀町(商人町)と東街道沿い六十人町(足軽町)の間に挟まれているのがおわかり頂けると思う。

4Google3D立体画像畳屋丁範囲

畳屋丁の延長にはこのような石碑(道路の右端)が立っていて、旧町名の畳屋丁と穀町の名が刻まれている。撮影地点の住居法表示は穀町である。

5辻の石碑

横町コメント
ちょうど十年前になりますが、職人町に隣接する足軽町(三百人町、六十人町、五十人町)をブログに紹介させて頂いたことがございました。
また、8年半前には南材木丁の旧針惣旅館も紹介させて頂きました。https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1283.html

今後はこのような職人町も紹介して参りたい所存です。ちなみに、大正15年の仙台市地図には「畳屋町」の表記が残っており、若林区役所「まちづくり推進課」によると昭和46年までの資料には「畳屋町」で表記されていたとされます。それ以降「畳屋丁」になったそうなのですが、なぜ?誰が?「丁」にしたのかは不明とのことです。参考までに商人が住んだところは「町」で、侍が住んだところは「丁」とつけられるのが定番ですが、この町に関しては逆になっているようです。

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6六百横町
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