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 作家安岡章太郎について、作風など 


はしがき

作家にはいろいろなタイプがある。近寄りがたい孤高さを感じるタイプ(森鴎外、志賀直哉、伊集院静…)もあるが、逆に気取らずに庶民的な雰囲気を作風としている作家(井伏鱒二など)も存在する。今回紹介する作家は安岡章太郎(1920-2013)のタイプは明らかに後者のほうである。先入観を取り払い、彼の作品を読んでみると何の違和感を感じることなくすらすらと活字を追える。知らず知らずのうちに親近感に似たものが湧いてきたのには驚いた。安岡章太郎の略歴を紹介したい。


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安岡章太郎1920-2013)高知市生れ。慶大在学中に入、結核を患う。戦後、脊髄カリエスを病みながら小説を書き始める。1948(昭和23)年に英文学科を卒業する。当時はコルセットをつけながら、吉行淳之介や阿川弘之と盛り場などを遊び歩いたと言う。1953(昭和28)年陰気な愉しみ』『悪い仲間で芥川賞受賞。弱者の視点から卑近な日常に潜む虚妄を描き、吉行淳之介らと共に「第三の新人」と目された。1959(昭和34)海辺の光景で芸術選奨と野間文芸賞、1981(昭和56)年「流離譚」で日本文学大賞、1991(平成)年「伯父の墓地」で川端康成賞を受賞2013(平成25)年老衰のため死去。


1安岡章太郎

少年時代の安岡はけして優等生ではなく、どちらかと言うと落ちこぼれであった。落第したり、病気がちであった。作品としては私小説が多いようだが、日常の風景から、自分のダメさ、弱さを表していて少しも気取ったところがない。このあたりには独自性を重ねる気がする。今読んでいるエッセイは『晴れた空 曇った顔』である。作品には井伏鱒二(1898~1993)が登場するが、安岡は22歳年上の井伏と交際があったようだ。エッセイをもとに二人にまつわるトピックスを紹介したい。


如何にも好々爺という印象を受ける井伏だが、公私のけじめを持ち、譲れない一面があったようだ。実は二男が亡くなった際に、自宅に知人数名を招き入れて、普段通り酒を飲み交わしていたという。一見すると非情な行動とも受け取れるが、安岡に言わせれば、井伏はけして身内のことを他人に明かすような人物でなかった(聞かれれば別だが)というのである。井伏は二男の死を人に知らせることなく、且つ葬儀にも出なかったというが、それだけ作家と言う職業に徹していたのかも知れない。著名な作家ともなれば常に締め切りに追われるだけに、子息の葬儀に出ないという苦渋の選択を行ったようだ。


安岡章太郎のことに話を戻したい。自分の弱みを見せる。これは多くの作家が行っていることだが、ここまで徹底している作家も少ない気がする。例えば自らの地方の旧高校(現愛媛大学や山形大学)への受験失敗談を他人事のようにおっぴろげに明かす。これは自分の裸を人前に晒すような印象さえ受けるが、安岡の作品では日常的に登場するようだ。このあたりは読者心理を見越していると言えるのかも知れない。


2本

横町コメント

これまで自分はどちからと言うと作家で著物を読む読まないを決めていただけに、この作家との出逢いは大きい気がします。彼の遺した著作を読むことで、彼の人となりが浮かんで参ります。もちろん井伏鱒二と重なる部分もありますが、独自の作風を築きあげた作家という気がします。


実は今回の読書を皮切りにカテゴリー欄に「安岡章太郎の研究」を増設しました。今後、彼の作品を読んで読後感想などを寄せたい所存です。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。

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3六百横町

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