fc2ブログ
私の歴史作品『東街道をゆく』その十一 陸奥国分寺界隈が文芸誌みちのく春秋(Vol,44)の秋号に連載された。みちのく春秋は年に4回発行される季刊誌である。私がこの文芸誌に投稿を始めたのが2014年の秋なので、今回で丸8年となる。

これまで仙台藩士支倉常長のことや、サラリーマン啓発書などを執筆してきたが、今は『東街道をゆく』という作品を書いている。私が東街道のことを強く意識するようになったきっかけが、宮城県南部の亘理郡山元町の喫茶「遊」である。「遊」のオーナーは敷地内に東街道が通っていることが土地を買う動機に繋がったという。このオーナーのロマンが私の執筆欲に火を点けたと言っても言い過ぎでない。

それはさておき、『東街道をゆく』を寄稿してから既に2年半が過ぎた。このシリーズはもう少し続きを書きたいと考えている。

連載履歴

今回の陸奥国分寺界隈では陸奥国分寺の他に国分尼寺、熊谷万山画「宮城野のおもかげ」も含まれている。私が心掛けているのは先人の二の足を踏まず、独自の視点で東街道を俯瞰することである。例えば東街道周辺に城館を構えた豪族も執筆のネタとしている。この辺りは中世は国分氏、戦国期後半からは伊達氏の支配地となったが、軋轢の中で消えていった武将も多い。

和賀忠親もそんな不遇の武将であった。和賀家は6万8千石の大身の大名であったが、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣せず、伊達政宗の庇護を頼ったが、その後徳川家康にの天下になると一気に旗色が悪くなった。政宗の野望(南部攻め)の勇み足を咎められ、その口封じに政宗によって忙殺されたとも、自刃したともされる。今回の作品にはそんなことも書かせて頂いた。

1みちのく春秋

横町コメント
私はみちのく春秋への寄稿をこれからも続けてゆく所存です。『東街道をゆく』はあと数回は連載を予定していますが、その後の構想は既に出来上がりつつあります。それはさておき、次の締め切り(Vol.45)は12月初めとなります。然らば早急に準備に取り掛かりたい所存です。

本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
 ▼▼▼


2六百六十六横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)