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 星亮一 仙台藩士・玉蟲左太夫を語る 


【コラム】
東北の偉大な歴史作家星亮一氏(1935~2021)が昨年の12月31日に亡くなった。謹んでご冥福を祈りたい。星亮一氏のプロフィールをご覧頂きたい。仙台に生まれ、戦時中は丸森に疎開し、その後は一関(岩手県)に住み、高校までを過ごし再び仙台で学生時代(東北大学文学部)を送っている。そのご福島民報の記者として活躍され、福島中央テレビ報道制作局長を経て作家になられた。

私が星氏のことを知ったのは、今から8年前の7月のことであった。取材のため、丸森町(宮城県南部)の矢野目館跡(伊達政宗の父・伊達輝宗が相馬攻めの際に陣を張ったところ)を訪ねた際、矢野目館跡に住むかたから「星亮一先生を知っていますか?」と聞かれたのである。恥ずかしながらその時は星氏のことを知らず、恥ずかしい思いをした記憶がある。拙記事「伊具の泥濘に沈んだ伊達武者の無念」参照https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1180.html実は彼の先祖は仙台藩重臣・佐藤宮内(相馬から寝返った武将)の家臣で、戊辰戦争白河口の戦いにも参戦したこともある武将であった。

動画に登場する玉蟲左太夫(1823~1869)は仙台藩が生んだ俊英である。玉蟲左太夫万延元年(1860年)遣米使節の記録係として渡米、ポーハタン号での生活やアメリカの風俗など詳細な記録を『航米日録』として残している。帰国後大番士となり、のちに養賢堂(仙台藩藩校)の指南統取となった。慶応4年(1868年)戊辰戦争が勃発すると奥羽越列藩同盟の成立に尽力し軍務局副頭取となり、明治2年(1869)敗戦後に捕縛され獄中で切腹している。

1プロフィール

その後、図書館で星氏の著物をいろいろと借りて読んだ。彼はもちろん東北贔屓の作家である。会津贔屓で知られる歴史作家の早乙女貢氏(1926~2008)とも親交があった。明治維新を経てどうしても幕府側の人物には日が当たらないようになるが、星氏は幕府側の不遇の人生を送った人物にスポットを当てている。戊辰戦争では敗者ゆえ、どうしてもマイナーになりがちになるが、そこに大きな意義を見い出していたようだ。

賊軍のレッテルを貼られ、多くの有能な人材が死んでいった幕末だが、飽食の時代には絶対に現れないような傑出した人物を何人も輩出したのは明らかな事実である。司馬遼太郎を始め、早乙女貢星亮一という歴史作家にはそのような図式が見えていたに違いない。

2作品集

私は星氏に一度だけ会っている。それは8年前の2014年10月31日に東北学院大学で行われた歴史講演会『奥羽越列藩同盟 東北政権樹立の理想と挫折、そして今』である。この日は文芸誌「みちのく春秋」の創始者である井上康氏に誘われての参加であった。(画像中央の黒いスーツを召したかたが星氏である)

3歴史講演会2014年10月末

元新聞記者というだけあって、星氏の講演は非常に歯切れがいい。そして何よりも東北贔屓である。一時会津と長州が仲直りするという動きがあったようだが、これは残念ながら会津側の思惑で実現しなかった。星氏はその時にもいろいろと骨を折られたようだ。

4画像

横町コメント
「虎は死んで皮を残す」という言葉がありますが、偉大な歴史作家・星氏にはそのようなことを重ねています。彼は東北に生まれ、東北を愛し多くの不遇な人物にスポットライトを浴びせました。その熱き志は仰ぎ見るものがございます。自分も歴史を書くからにはそう在りたいと考えています。本日は星氏に敬意を表し、新たなカテゴリーそして「星亮一の研究」を加えた次第です。

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5七百横町
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