fc2ブログ

はしがき

最近元首相の細川護熙の著物を読んだ。『不東庵日常』である。

細川護熙氏の略歴を紹介したい。


細川護熙(1938~)

旧熊本藩主細川家第18代当主。東京都生まれ。朝日新聞記者を経て、参議院議員、熊本県知事、日本新党代表、衆議院議員、第79代内閣総理大臣を歴任。公益財団法人永青文庫、鎮守の森のプロジェクト理事長


1細川護熙画像

90年代の国会の答弁で細川総理大臣が野党から質疑を受けた際「あなたは殿様の子孫だから云々」という発言があった。これは事実だが、政治家と由緒ある家系は関係がなく不謹慎な印象(面白半分でからかう)を受けた。質問者にはレベルの低さを感じた。

それはさておき、彼は大大名の細川家の嫡流(本家・54万石)の血を引く人物である。何と明智光秀や細川ガラシャの血を引く人物とは知らなかった。評論家の故・細川隆元市氏(テレビ番組・時事放談などに出演)は細川内膳家(6千石)で遠い親戚にあたるようだ。

2細川家略系図

2004年発行の細川護熙著『不東庵日常』である。雑誌に連載した残生百冊」と題した読書論的な著物紹介のダイジェスト版である。残生百冊」の中で彼が勧める著物の分野は幅広く、歴史、文学、詩歌、宗教、思想哲学、芸術、人物論、人生訓、趣味、文化と多岐に渡っている。不東庵とは彼が陶芸活動を行う場の号である。

3不東庵日常

細川氏は書も嗜むが、彼の自筆の書寒山詩を紹介したい。

茅棟野人居

意味:茅葺きの閑居が仙人の住まいである。閑居を訪れる者は希である。林は奥深く多くの鳥が棲んでいる。渓谷も深い趣で魚も棲んでいる。山の恵は子供を伴って収穫に及び、湿田は妻とともに耕す。仙人の家に何があるのか?と問われれば、ただ一本の掛け軸があるのみである。


湯河原の閑居にはこのフレーズを重ねているに違いない。閑居を構えるに際しては、陶淵明や李白、杜甫、白居易らも視野に入れたのかも知れない。


4細川の書

横町コメント

1993年に内閣総理大臣を会見した細川氏はその5年後の1998年に60歳で政界を退きました。政治家としてはあまりにも早い幕引きですが、これには以前からの考え(限られた余生を存分に謳歌する)があったとされます。彼は読書家であり、随筆家でもあります。


政界引退後は母方祖母から受け継いだ湯河原(神奈川県南西部の温泉町)の家屋に隠棲し、晴耕雨読に励んでいました。彼が閑居に憧れた理由として、西行や良寛、鴨長明、吉田兼好から受けた影響が大きかったとしています。敷地の一角には小さな畑を拓き、文字通り晴耕雨読三昧の生活を送っていましたが、一方で陶芸も始め今では数々の個展を開くに至っています。彼は時に花を生けたり、知人と一服の茶を喫することもあるとしています。


まさに風流を絵に描いたようなセカンドライフですが、政界から引退後はしがらみから顧問的な依頼を受けても、これを断ったようです。これには俗世間との関りを断ちたいという願望が窺い知れる気がします。趣味の陶芸について、或るメディアから「やきものを楽しむ」というシリーズの執筆依頼があり、彼はこれを受けています。「残生百冊」とともに、彼の悠々自適なセカンドライフを象徴するかのような著作のようです。残生百冊」の中に紹介されている書物は自分のゾーンに重なるものが多いという印象を受けました。


しがらみをきっぱりと断ち、60歳での引退は羨ましいですが、殿様の子孫で名門の家柄に生まれたのも、その追い風となったようです。彼に対して文化人としての横顔と育ちの良さを感じるのは自分のみでないと考えています。ちなみに、細川氏は御年84歳でご存命でいらっしゃいます。


本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。

 ▼▼▼


5六百横町
関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)