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昨日の12月9日(土曜)、私は福島県との県境に近い旧奥州街道の宿場町を訪ねた。写真からはややわかり難いが道路にはゆるやかな勾配がついている。昔はこの旧道が国道4号線であったが、既にバイパス化された新国道4号が西側を平行に走っている。今はすっかり交通量が激減した旧道に、私は昔の宿場町の面影を重ねた。

宿場町の名称は斎川宿である。この辺りは南の外れにあたる部分で家屋もまばらになっている。

では、江戸時代の通行人は一体どんな身なりをしていたのだろうか?資料は仙台藩歴史事典255頁より引用させて頂いた。往時の陸上交通の主役は馬と人である。

奥州街道と各宿場の位置を確認して頂きたい。(黒の破線:宮城県と福島県の県境)
北から黄色●:白石宿、赤●:斎川宿、オレンジ●:越河宿
この三つの宿の各々の離隔距離は一里十五町四十間(5642m)である。

斎川宿は宮城県に入って越河宿に続き二番目の宿場となる。福島の瀬上宿~仙台宿までの宿場は次の通りである。

斎川宿の集落の全長はざっと700~800メートルほど、その中ほどには検断屋敷(仙台藩においては町場に置かれ、伝馬をはじめ、宿駅関係の一切の仕事を取り締まり、統括する重要な職務を司るポスト)がある。門の右側にある石碑は明治天皇が明治10年に訪れ休憩した場所である。

北側の町外れには芭蕉の足跡も残されている。残念ながらこの地で芭蕉は俳句を詠まなかったようだ。

Google航空写真で斎川の旧宿場をご覧願いたい。奥の細道の標識は田村神社に隣接する宮司宅のところに立っている。

田村神社は801年(延歴20年)、蝦夷征伐(桓武天皇の命)を無事に果たした坂上田村麻呂を祀った祠がその由緒とされる。

ミック挨拶
皆さん、本日は以前から約束していた「みちのく版街道をゆく」の書庫(従来までは「旧道をゆく」という名称)を立ち上げました。田村神社に隣接する甲冑堂も見て参りました。これについて掲載すると記事が大変長くなりますので、次回以降の掲載に回したいと思っています。今回は字数は少なくても内容のある記事を書きたいと思い、斎川宿に焦点を当てたものとしました。「街道をゆく」と称するには、まだまだ下調べが足りませんが、今回の取材で骨子は出来たと思っています。後は図書館などで文献を探し、肉付けして文芸誌に掲載出来るレベルに仕上げたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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