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震災前の吉田浜周辺と鳥の海 [亘理町・山元町地域]


リンク動画解説
去る5月19日に、宮城県亘理郡山元町に存在した分譲別荘地サンライズビーチの記事を掲載したが、奇跡的にYouTubeで震災前の動画を見つけた。画像を見ると明らかに津波の跡がないようだが、撮影月日は明確にされていない。サンライズビーチの動画は3分25秒過ぎに登場する。

1遠景

サンライズビーチのアップ画像である。思ったよりも住宅(別荘を含む)はまばらで、海岸林が住宅の周囲を囲んでいるのが見て取れる。

サンライズビーチに関するある新聞社の記事を紹介する。宮城県には震災前、‘東北の湘南’といわれた別荘地があった。山元町の北端、砂浜に近い700m四方の区画に17戸36人が暮らしていた。住民の多くは第一線を退いた人たちで夏は涼しく、冬は暖かいこの地を終の棲家にしようと、移ってきたかたがただったという。

どうやら分譲地の多くは売れ残り、住居で埋まらず虫食い状態だったと思われる。2011年に起きた東日本大震災の津波で、住民10名が亡くなったという。右側(海側)の潟(沼?)に着目。

2サンライズアップ

この辺りはサーファーで賑わう場所であったと思われる。河口の沼と書かれている場所は地図を見ると牛橋河口となっている。

3合成航空写真

70年代にテレビでよくサンライズビーチのCMを見たが、キャッチフレーズは「浜吉田駅(JR常磐線の最寄りの駅)から4キロ」というものであった。4キロというと徒歩では遠い距離だが、このあたりも売れ残った要因なのかも知れない。

4地図

これは震災の翌年に撮影されたYouTube動画の一コマである。緑のフラットな部分には何もないように見えるが、住宅地が根こそぎ津波にもっていかれたものと思われる。(被災された方には謹んでお見舞い申し上げます。)

5震災後

最近の立体画像(google map 3D画像)である。フライトステージフリーというパラグライダーを体験できるスポットになっている。尚、料金のほうは大人が¥10800/1時間ということである。

6フライトステージフリー

横町コメント
何とか震災前のサンライズビーチの画像を見たいと考え、いろいろと探しました。インターネット検索でヒットしなくてもYouTube上での検索で何度もキーワードを変えてトライしたところ、偶然にもこの動画を発見しました。

最後に動画の運営者であるizumikuteraoka様の動画説明欄に書かれたコメントを紹介させて頂きます。

被災された方々に衷心よりお見舞い申し上げます。「私は鳥の海を起点にして、モーターパラグライダーで吉田浜周辺を趣味でフライトしているものです。 震災後の静止画、又は動画はいろんな場面でご覧になることがあると思います。 ところが、震災前の映像はあまり目にすることがないのではと思い、今まで撮影していた亘理、山元地区の映像を編集して、アップロードいたしました。」

以上となります。私としては若かりし頃にテレビのCMで知った高級別荘地であるサンライズビーチが、その後どんな運命をたどったのか、大変気になっていました。それだけにこの動画を見て複雑な思いがします。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。ブログランキング・地域情報・東北地区に参加しています。宜しければクリックをお願い致します。
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7七百横町
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コメント

5/19の貴記事も再見いたしました…。紹介された動画は、ここのパラモーターの基地から発進した方により撮影されたようですね…。地震の前年に撮影されたと思われる風景から、個数は少ないものの長閑な別荘地であったことが伺えます…。
本当に、自然災害は無差別ですね…。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします…。

URL | boubou ID:-

こんばんは

別荘地、空いているようですね。
東日本大震災が起きえることは、産総研が
調査結果を踏まえて提言したようですが、
地震学者が一掃された経緯があるようです。
情報分析は多角的に行うのがベストだと思い
ます。

URL | ichan ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

現在の”フライトステージフリー”というパラグライダーを体験できるスポットはサンライズビーチ跡に設置されたわけですが、動画運営者は震災前からこの辺り(吉田浜)でモーターパラグライダーをされていたようです。恐らく砂浜で離着陸していたのでは?と察しています。

震災前の航空写真は恐らく2010年前後に撮影されたものと踏んでいますが、宅地が埋まらなかった空き地に木々が繁茂しているように見えます。既に分譲から40年が過ぎ、荒れ果てたのかどうかが気になります。実は別のYouTubeが車載ビデオで撮影した動画があり、これを頼りにもう少し往時のサンライズビーチをたどりたいと考えています。(断片的に別荘地らしきものが写っているのですが黄昏時で画像が不鮮明)

非常に気になっていたサンライズビーチの今昔を少しでも解き明かしたい所存です。次は山元町役場がターゲットと察しています。本日も有意義なご感想を頂戴しました。ご配慮に感謝致します。コメントを頂きありがとうございます。

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。かつてはここが別荘地であり、サンライズビーチという地名さえわからないかたが増えているものと察しています。そんな中でこのような記事を書き、ネット上に残すことに使命感を抱き、記事を起こしました。YouTube検索を何度も根気強く行っているうちにこの動画にたどり着きました。宅地は虫食い状態ですが、恐らく多くが売れ残ったものと察しています。

産業技術総合研究所は、独立行政法人として設置された経済産業省所管の公的研究機関なのですね。地震学者の警鐘に際し、産業技術総合研究所の見解は耳を疑うものがあります。天災ほど予測が難しいことはないはずですが…振り返れば産業技術総合研究所の見解(楽観論)により、土地を購入されたかたの多くは津波のリスクに対する知識がもたらされなかったものと察しています。お陰様で本日も厚誼を頂戴しました。ご配慮に感謝致します。ありがとうございます。

仙台藩だった時代、藩の命令で海岸近くは塩田にして、居住は認められなかったと聞きました。
そのおかげで、江戸時代を通して津波被害をほとんど受けていません。
古くから居る人は、海辺に住む発想になっていなかったのではないでしょうか。
海は、舐めると怖いですからねえ。

URL | しのぶもじずり ID:em2m5CsA[ 編集 ]

しのぶもじずり さん、ありがとうございます。

🛑話題1🛑仙台藩の海岸で製塩が行われたか否かについて
実は故郷の石巻の近くの渡波というところに塩田がありました。また地名からも連想されるのですが塩釜にも塩を作ったとされる釜があり、地名の由来となっています。但し、その他の宮城県沿岸がどうだったのか?藩の許可も必要だったのを含めて考えればなかったとは言えないものの、どうかな?という気がします。

🛑話題2🛑慶長の三陸地震と津波の被害について
江戸時代を通して津波被害をほとんど受けていないとのことですが、Wikipediaを見る限り、慶長の三陸地震と津波では被害記録のほとんどは津波によるもので、地震による被害はほとんどないと書かれています。
ご自身のおっしゃる趣旨とずれるのかも知れませんが、宮城県や岩手県を襲った1611年の慶長の三陸地震、津波(仙台藩で人の死1,783と記録にあり)に関する某歴史学者の見解について述べさせて頂きます。
●学者Aの見解
伊達政宗は慶長の津波の復興を期す為に支倉常長を海外に派遣した。
●学者Bの見解
当時の建物は脆弱なもので地震の被害はさほど大きなものではなかったと推察される。従って慶長の津波の復興を期す為に支倉常長を海外に派遣した可能性は低い。
とするものです。私は学者Bのほうの見解を支持しています。伊達政宗には野望があり、その一環が慶長使節団の派遣だったと考えるのがごく自然と解釈しています。

◎まとめ◎
お陰様で本日も有意義なご感想を頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

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