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大河ドラマ「樅ノ木は残った」オープニング


リンク動画解説
大変古いNHKの大河ドラマ・山本周五郎原作『樅ノ木は残った』(1970年放送)である。大河ドラマとしては第8作で全部で52回の放映であった。このオープニングはいわくつきで、様々な能面をいくつかのアングルから映しつつ、強風に翻弄される竹林の映像を映し出すもので、幼い子供は泣いて怖がったとされる。

樅ノ木は残った』は周五郎が独自の視点で伊達騒動寛文事件)を捉えたもので、それまで忠臣、逆臣とされた人物像を大きく変えるもので、歴史愛好家らに一大センセーションを巻き起こした。周五郎は周五郎で、入念な資料収集と現地取材を基にストーリーを練ったと言う。

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伊達騒動あれこれ
去る6月19日に、過去の伊達騒動のことを書いた記事にコメントの書き込みがあった。書き込まれたかたは伊達遠江守家中さんという方で、仙台藩祖伊達政宗の長男・秀宗の家臣の末裔(祖母の先祖は宇和島伊達家誕生時に上方で召し抱えられ、藩祖秀宗公殉死者の一人であり、跡目を継いだ弟が吉田伊達家に仕えて明治維新に至る)に当たるかたのようであった。

この記事(ブログ)は今から9年前の2014年に、私がある企業の季刊誌を寄稿したことに始まる。当時山本周五郎原作『樅ノ木は残った』を読み、また図書館のVHSビデオで大河ドラマ(1970年放送) の総集編を見た私は感動冷めやらぬうちに、伊達騒動所縁の地を巡り、ブログにシリーズとして随筆を書いたのである。

私が寄稿した内容は、伊達騒動の首謀者の一人とされる原田甲斐(過去に伊達騒動のことを描いた歌舞伎や随筆では、お家乗っ取りを謀った逆臣として描かれた人物)が実は忠臣(『樅ノ木は残った』では、ひたすら私情を押さえて、藩を乗っ取ろうとした伊達兵部の手先を装い、命と引き換えに、伊達家の安泰に寄与した人物として描かれる)と言うものであった。

この記事が、後々物議を醸しだすことになる。これを読んだ読者(匿名の女性)により、辛口(私への誹謗中傷)のはがきが印刷会社に寄せられたのである。その女性は伊達兵部を忠臣、伊達安芸を逆臣、原田甲斐を両者の間を行ったり来たりする蝙蝠のような人物と主張してきたのである。はがきによると、女性は悔しくて夜も眠れないという。私も図書館で数冊の参考文献(歴史書)を読んでから執筆したゆえ、自信はあったが感情に走らずに冷静になることを踏まえつつ、敢えてこの読者(匿名のため所在不明)には反論せず、一旦は引き下がることにした。

1寛文事件パンフレット

その数日後、私は青葉区の仙台市博物館に足を運んだ。学芸員から伊達騒動に関する客観的な意見が聞きたかったからである。博物館では一年前の2013年に伊達騒動に関する特別展が開催された経緯があった。学芸員のSさんがおっしゃるには、仙台市博物館としては、この事件で忠臣と逆臣を決めることはしていない「山本周五郎の描いたストーリーも否定できないし、一方で従来までの説も否定できないので結論は出せない」とのことであった。これを聞いた私はようやく汚名を晴らすことができたのである。

今回、伊達遠江守家中さんから頂いたコメントは中立的な内容(個人的な見解ですが、この家中騒動では時代劇で描かれるような典型的な逆臣はいなかったと思っています。元首相の原敬が「戊辰戦役は政見の異同のみ」と述べたように、仙台藩は誕生から終焉まで、度々「藩主集権か家中分権か」で揺れており、伊達騒動はその現象の一つだったと思っています。)であった。歴史関係の記事には、数年に一度くらいの割合で突然コメントの書き込みが入ることがあるが、今回の書き込みは真っ向から私の記事を否定するものでなかったということで正直、胸を撫でおろした次第である。

まことに奇遇ながら、ブロ友のクオさん(宮城県在住)は、私のブログへの書き込みがあったほぼ同じ時期に、原田甲斐の二つの墓のうちの一つである宮城県登米市の東陽寺に行ってきたという。http://naturalkuo.blog93.fc2.com/訪問に際しては、ご住職のほうから声をかけてくださり、お寺や原田家のことを教えて頂いたとのことであった。東陽寺では毎年、原田甲斐の法要が営まれており、その様子は大河ドラマ版の『樅ノ木は残った』のVHSビデオにも収録されていただけに、クオさんの記事は大変感慨深いものがあった。

2伊達騒動パンフレット

横町コメント
本記事で3824番目の記事となります。ほぼ同じ時期(6月半ば)に伊達騒動に関する二つの情報が寄せられ、何かの因果のようなものを感じています。歴史にとって危険なのは思い込みです。思い込めば、他人の見解は耳に入らなくなります。自分もこれを肝に命じて歴史に向かい合いたいと考えています。

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4六百横町
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コメント

歴史の解釈は、新データが出てくれば、2転3転するものですね…。従来説は、勧善懲悪のイメージのものも多いと思います…。
なかなか、はっきりと断定するのは難しいですね…。

URL | boubou ID:-

こんばんは

『樅ノ木は残った』、多分、部分的に見た
ことがあるかもしれません。
お家騒動は伊達家に限らず、あったことと
思います。
中にはドラマチックに描かれたものは多い
でしょうね。

URL | ichan ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

時代劇感覚で史実を偏った視点でとらえると、とんでもないことになる。そう感じた9年前のクレームでした。推定は可能ながら断定が難しいのが歴史です。見解が相反して論争に発展しそうになった際は、冷静に「なるほどそういう捉え方もあるのですね」という視点を持ちたいと思います。

過去の歴史関係の記事にコメントを頂くのは大変有難いのですが、書き込まれるとドキリとします。それは断定調のコメントが多いからです。こういうリスクを百も承知の上でブログを運営しております。それだけに今回の伊達遠江守家中さんの書き込みには感謝しております。
ご配慮により本日も厚誼を頂戴しました。おはからいに感謝しています。コメントを頂きありがとうございます。

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。宮城県に関わる大河ドラマの第1作になります。第2の独眼竜政宗の大ヒットと比べると極めて地味ですが、通にはたまらない作品です。歴史というものは新たな資料の発見や研究で、捉え方が大きく変わるわけですが、一度先入観を抱いてしまうと、これが新たな思考の発展を阻む気がしてなりません。まして自分のルーツが関わっていればどうしても身内びいきに陥りやすくなる。

歴史ものを書いていると、必ずと言っていいほど論敵を生む気がします。過去にもいろいろと書き込まれたことがありますが、ほとんどが匿名です。歴史研究会などに出席してお互いに顔を合わせ、所在をはっきりした上での論戦は望むところなのですが…
おはからいにより本日も有意義なご感想を頂戴しました。ご配慮に感謝致します。コメントを頂きありがとうございます。

こんにちは

歴史小説は史実を踏まえつつ
書き手の主観も入るからこそ面白いのでしょうね。
違う考えのかたからは我慢ならない意見が出てくるんですね。
どんなに意見が食い違っても相手への誹謗中傷はあっては成らないことと思います。
意見として述べる分には誹謗中傷ではありませんよね。
益々、歴史小説 或いはエッセイなどお励み下さい。

URL | つや姫日記 ID:-

こんばんは。いつもお世話になっております。

伊達騒動に関してタイムリーなことが横町さんに起きたと知り、原田甲斐の計らいなのかなと勝手に思いました。

私のブログをご紹介いただきまして、どうもありがとうございます!

伊達騒動の過去記事も、拝読させていただきます。

URL | クオ ID:-

つや姫さん、ありがとうございます。

おはようございます。歴史ものを書いていると常にリスクと隣り合わせを痛感します。それでも過去には有難い追い風もございます。(地元仙台や相馬のかたから、誼を頂戴したことも何度かありました)

こういう方のおはからいで、モチベーションがキープ出来ていると言っても言い過ぎでない気がします。リスクがあっても止められないというのは一種の義務感(多くの先人に代わって自分がブログと言うデジタル媒体に残す)に苛まれているからです。自分は単なる鎖の一かけらで十分ということです。後は後学の役に立てればそれでいい(ブログさえ消されなければですが)と考えています。それと自分は学者ではありません。それゆえに若干の推察も許される。このへんは読者諸氏にご理解頂きたいと考えています。

おはからいにより本日も格別なるエールを頂戴しました。ご配慮に感謝致します。コメントを頂きありがとうございます。

クオさん、ありがとうございます。

おはようございます。こちらこそお世話様になっています。伊達騒動は奥が深いですが、興味を一層引き立ててくれたのが例のVHSビデオ『樅ノ木は残った』大河ドラマ(1970年放送) 総集編でした。
動画はその後YouTube上にもしばらく存在したのですが、著作権の問題で消され、今となってはYouTubeでは見られません。原田甲斐に関しては周五郎が現登米市の東陽寺のことを知り、恐らく取材の上で、原田甲斐が忠臣であるのを確信したものと察しています。

伊達安芸に関しては微妙なタッチ(自分の利権で動いたとする説もあり)で描かれているのですが、江戸の酒井雅楽頭邸での刀傷事件の絶命する前の原田甲斐から「安芸様」という言葉が発せられ、ひょっとして伊達安芸は原田甲斐の心の拠り所だったのでは?という気になりました。
https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-939.html
彼が忠臣であったのでは?と思った決め手は、涌谷城跡(疑似天守閣)に展示された伊達家4代目綱村から賜った「盡忠」という直筆の書です。綱村が単に酔狂でこんなことをする訳がないと考えたのです。
https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1213.html

悲運の人物としては伊東七十郎が挙げられます。大河ドラマでは伊吹吾郎さんがはまり役でした。烈士と言われるだけに、剛毅な侍と言う印象を受けました。
https://gbvx257.blog.fc2.com/blog-entry-1096.html

ご配慮により本日も厚誼を頂戴しました。おはからいに感謝しています。コメントを頂きありがとうございます。

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