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論文「これからの組織人に求められるもの」
A、序論
昨今、長時間労働やハラスメントによる労働者のリスクが社会問題になっている。特に某大手広告代理店で繰り返された社員の自殺は25年前に起きた自社の教訓が生かされなかったと認めざるを得ない。また、某公共放送の職員の過労死問題も組織の在り方や対応を大きく問われるものがある。

これだけ大きな社会問題になっている自殺や過労死がなぜ何度も繰り返しおこなわれるのか。これは企業だけに留まらず、本来ならば模範を示すべき教育機関も例外でない。東北の某国立大学の研究機関で行われたパワハラにによって、職員が雇い止めになるという事(2017年11月9日の河北新聞に掲載)が発生した。こうした多くの案件に触れ、もはやこの問題は全国の大企業や中小企業のみでなく、どこにでも起こりうる問題と私は捉えている。序論ではこの問題の背景について掘り下げてみたい。


これまでの日本の組織の多くは悪しき遺産とも言える強権主義(職権乱用と配下に対して忖度を強く促す姿勢)に基づく思考を以って、自らが創り上げたヒエラルキーを維持しようとしてきた。その多くは恣意性に満ちているものが多い。悪しき遺産と述べたのは封建主義や軍国主義に於ける主従に求められる上位者への服従がそのまま踏襲されてきたからである。少なくても昭和の頃まではこうした思想は何処にでもあるもので、消して珍しいものでなかった。組織についてこれない者は単に「能力がない」、「適性がない」などという理由で片付けられ、淘汰される運命にあった。

司馬遼太郎は我が国の国民性の気質を「公の中で個人の在り方を考える生真面目なもの」としているが、こうした気質を生み出した背景が侍社会における縦社会である。武士道に於いて中核となる儒教の中に「忠節」というものがあるが、封建時代の意味する「忠節」と、近代から現代の組織に於ける上下関係を重ねてしまった結果が、こうした勘違いを生んだと私は考えるのである。


上に立つものにとってこの「忠節」という言葉ほど都合のいいものはない。「忠節」という大義名分に隠れて、堂々とハラスメントが行われてきたのがこれまでの実情である。現代の組織に於いて忠節があるならば、その背景には徳を以って人を治める。即ち、徳治主義が不可欠である。私はこれによって労使の間に初めて信頼関係がもたらされるものと認識している。信頼なくしての忠節は在り得ない。その為には上司の人徳が不可欠である。

禅の教えに「竹有上下節」という言葉がある。これは竹の節に上下があるように、平等社会に於いても上下の関係が成り立たないという意味であるが、ここで気をつけなければならないのは組織に於いて欠かせない上下関係は指示命令系統をスムーズにする統制であって、主従の優劣を決めるものではないということである。今日何度も繰り返されるパワハラ問題の当事者に、ほぼ共通して欠けているのがこの考え(下の者を労わる気持ち)である。

強権的なこの手法は猿と猿使いの関係にも似ている。猿使いが猿と対面して真っ先にすることが猿に噛み付く一種の儀式(怪我をするほど噛み付くという意味でない)である。徳治主義を知らない者(或いは知っていても履行しようとしない者)は部下を配下に敷くために、伝家の宝刀である「忠節」という名分を掲げ、必要以上の権威を振り回し部下の人権を侵し服従を迫るのである。


では、もしあなたがこうした問題に直面した際にどう立ち回ったらいいのか。これについて述べたい。労働組合やユニオン(労働連合)のある企業では、こうした方面と密接な連絡を取ることで打開できる場合があるが、それはほんの一握りの組織で、ほとんどのケースは労働者個人にとって過酷で、且つ孤立無援な戦いとなる。それは労働組合があっても形だけという企業が多いからである。だいたい労働組合の幹部が自分の出世や処遇を恐れて本腰を入れられない。

そんな組合に一体どんな存在価値があるのか。もし在籍した会社の労働組合が頼りないと感じたら、躊躇せずに県の労働連合や労働省の出先である労働基準監督署に相談することである。労働省の出先機関は何も監督署や基準局だけではない。各県には労働委員会がある。これらの期間は労使双方の紛争解決の援助をしてくれる。最後は裁判という手があるが、ほとんどの場合はその前の段階で決着しているようだ。


最近の労働紛争の傾向としてはかつてに見られたストライキなどの集団紛争に代わって、個別紛争が多くなっている。これは36(サブロク)協定(労働基準法による休日出勤、残業時間などの制限)によって、労働者への過重労働が減ってきたことが影響していると私は捉えている。36協定を守るべき立場にある企業のレベル差は大きいが、36協定の強化によって、方向性としては労働者の過重労働の負担は減ってきていると捉えられる。


さて、過重労働の他に問題視されるのがパワハラに代表されるハラスメント行為である。某国会議員が自らの秘書に対して行った行動がパワハラと見なされ、書類送検されたばかりだが、社会的立場にある者ほど、そのしっぺ返しは大きい。今回のケースは両者のやり取りが、被害者によって録音されたことで立件された案件であるが、被害者の胸中を察するに、背後にはその代議士と刺し違え、すべてを捨てるくらいの覚悟で臨んだものであったと捉えている。

こうしたケースは極めて稀でありほとんどのケースは泣き寝入りで、こうして表面に取りだたされるケースは氷山の一角ではないだろうか?では、こうしたハラスメントを受け難いものとする(自己防衛)には一体どうすればいいのか。これからは私自身のサラリーマン生活を例に挙げて、その対策について述べてみたい。


B、本論
私は長年勤めた企業を昨年をもって定年退職した。今思い起こせばけして順風満帆なサラリーマン生活ではなく、満身創痍となりながらのゴールであった。満身創痍と述べたのは四十代後半で鬱を患ったからである。私は職場で鬱を患い、定年まで勤め上げるのは容易なことでなかった。鬱病が治れば以前のようなパフォーマンスを取り戻せるにも関わらず、自分自身の実情をなかなか認めてもらえなかったことには非常に歯痒い思いをした。

2009年前後に起きた長時間残業による社員の自殺問題が表沙汰になってからは、やや日の目を見た感のある「職場鬱」だが、依然としてメンタルヘルス不調者(欝や統合失調症などを患った者或いはその疑いのある者を言う)の社員への偏見的な視点が存在するのは大変残念なことである。


さて、ここからは第一章と第二章に分けて現代サラリーマンとして為すべきことを具体的に述べたい。第一章では主にフレッシュマンや若手に対してのアドバイス、第二章では、主に出世を逃してしまったベテラン社員へのアドバイスについて触れて行きたい。


第一章「継続は力なり」
世に「継続は力なり」という言葉がある。私はこの言葉は大方のサラリーマンにとって当てはまる言葉と受け止めている。大方と言ったのは、中には転職して現状の職場よりもいい組織(一概に組織が大きいからと言っていい組織とは言えない)に行ったり、自ら開業して成果を挙げられたかたも居られるからである。今回は大多数側のサラリーマンに当てはまる「継続は力なり」について述べたい。若手やフレッシュマンが入社してから身につけておくべきものとして私は次の項目を掲げたい。

1、スキル
スキルを以前の言葉で言えば職務遂行能力というものになる。これは改めて説明の必要もないものと考える。言うまでもなく、雇用する側は仕事のできる人物を必要としているということである。入社してからは、日々OJT(オンザ・ジョブ・トレーニング)に励み企業から必要とされる人物となることが、自己の啓発にも繋がり会社を継続する上での大きな武器となる。ここで言うスキルとは単に「切れ者」という意味だけではなく、コミュニケーション能力を発揮しての人心掌握術や仕事を遂行する上での要領、人付き合いの上手さなども含まれる。

2、ライセンス
技術職はもとより、営業職であっても資格を持っていたほうが断然有利である。中には資格取得が出世と密接につきまとう企業もある。仮に仕事はできなくても、資格を持っているだけで一目置く企業もある。何も資格を取得してからでもスキルを向上できるからである。そう考えれば、なるべくライセンスは早く取得するに越したことはない。

3、広範囲に渡る知識と社会常識の修得
サラリーマンは単に専門知識のみを身につければいいのではない。一般常識とともに、世間というものの成り立ちを知り、世の中の道理を弁えるれば、窮地に陥った際に打開策を見出す武器にもなり得る。例えば、部署や自分自身に成績不振などに際した場合、どう立ち回れば良いのか、こうしたことはマニュアルにもないことが多い。上司に相談するもの一法だが、これはせめて若手から中堅社員まで。役職にもよるが、いい年になってからも上司ばかりを宛てにしていると己の度量を疑われ、やがて軽視へと繋がる。但しこうした視点は一気に身につくものではない。失敗を何度も繰り返して苦渋を飲まされ、徐々に身について行くものである。若いうちから社会を広い視点で捉える訓練を重ねることで、多くの既成事例を知り、いざとなった際においての取るべき方針や責任の取り方(人に聞くわけにいかないこともいっぱいある)などが見えてくるのである。


第二章敗者から見たサラリーマン生き残り術」
サラリーマンの啓発本は概して仕事にどう立ち向かい、上司にどう接するか?という出世指向の路線に関して述べているものがほとんどである。従って、不本意ながら出世を逃してしまった際に、どう対処するのかについての著作はほとんど出ていない。本章ではそれについて述べたい。

前章でも述べたが、私は五十を目の前にしてうつ病を患い、サラリーマンとして出世を逃した。但し、その後復活を果たして組織に流されない生き方をずっと貫いてきた。自分が窓際族かどうかはわからないが、敗者と称された中では数少ない生き残りである。ここでは、一度窮地に陥った私がなぜ生き残れたかについてお話したい。

1、パワハラの定義を理解する
厚生労働省のホームページを御覧頂きたい。パワハラの定義は何も人格否定や危害を加えることでない。その定義には「仕事を与えないこと」や「能力に満たない仕事を与える」ことも含まれる。こうしたことで社員のやる気を奪い、自己退職に導くのもNGである。雇用する企業は労働者に対して充実した職場環境を提供しなければならない。この定義を知っていれば、仮にこうした処遇を受けた際に、会社側に正論として申し立てることが可能となる。

2、自社の就業規則の把握と労働関係法令への精通
就業規則を必要以上に恐る必要はない。何故なら就業規則は単なる私法であり、憲法や労働関係の法令を超えるものでないからである。就業規則の中にこれら公の法令に反しているものがあれば、単なる会社側の一方的な都合で設けた規則に過ぎず、労働省の機関などに訴え出た際は是正命令の対象となるからである。その為には自社の就業規則が関係法令に照らし合わせて、合法なのか違法なのなかを、よく把握する必要がある。

3、多くの人が共有できるような正しい倫理観と自己信念を持つ
一度組織を敵に回すと、上司の盾(カバー)など一切期待出来なくなる。となれば、常にその言動は人道から外れてないことが強く求めらる。そ為には、コンプライアンス厳守は基より、正しい倫理観を持つことが不可欠である。我が国に倫理観の根底は概ね儒教思想にあると言っていい。儒教の精神の礎になるのが五常(仁、義、礼、智、信)である。即ち、仁は思いやり、義は普遍的正義、礼は習俗を尊重する姿勢、智は正しい判断力、信は発言と実行の一致である。人に己の意見を言う前に、先ずは自分の襟を正さねばならない。従って、五常を履行することでようやくその基盤が整うと考えるべきである。

但し、五常に満足することなく、人として目指すべき更に上の領域の五徳(温・良・恭・倹・譲)も視野に入れ日々の精進に励むべきである。また出来れば人を使う側が拠り所とする思想(君主論や貞観政要点などの帝王学)についても知っておけば鬼に金棒となる。こうした思想の修得で、大多数の人間が理想と掲げる倫理観を持つように努めることが大切である。


序論でも述べた禅の教えの「竹有上下節」であるが、この言葉の持つ意味もよく理解するべきである。即ち、組織である以上は上下関係がなければ成り立たないが、これを強く意識し過ぎると、職位に於ける上下関係を優劣(尊卑の絶対)に取り違える懸念がある。これを勘違いすると、上役に対して萎縮してしまい、思ったことが言えなくなることになりかねない。例を挙げるならば封建時代の殿様の座る場所が家臣の座るところよりも一段高い位置(上座)であったのを思い浮かべてもらいたい。己の心の中で上役を上座に位置づけることで、無意識の中で自分に暗示を掛けてしまい、言いたいことも言えなくなってしまう。これは何度も私自身が経験してきたことである。これを回避する方法しては、上役を役付け(部長、課長…)で呼ぶのでなくさんづけで呼ぶなど、あくまで人間としては対等であるという意識を強く持つことが効果的な方策の一つである。

4、自他の冷静な状況分析と時期の見極め
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」これは孫子の兵法に出てくる有名な言葉である。この言葉の持つ意味は極めて深いものであり、長きに渡って人類の戦略(勝利への方程式)として活用されてきたものである。ほとんどの場合、彼(相手)の力量は甘く評価され、自分の力量は過大に評価される傾向にある。それに警鐘を鳴らすのがこの言葉である。相手方の真の狙いがどこにあるのか、姿勢を正させ奮起を促すものなのか、或は潰しが目的なのかを正しく把握し、己が取るべき対抗策を講じることが肝要である。


また兵法には「出るべきところは出て、控えるべきところは待つ」という意味合いの言葉がある。即ち、己に利があり非がないから打って出ることができるのである。もし利がなければ引いて模様を見ながら力を温存するべきである。これが案外難しい。攻めるよりも引いて守ることのほうがずっと難しく辛抱を要するのである。

待ちに入った際は、風が追い風に転ずるまで待つことも必要となる。その為には、盲目となり、猪突猛進に至らぬよう、常に自己客観視を怠らないように心がけなければならない。自己客観視の礎になるのが前項で述べた正しい倫理観によって培われた揺るがぬ自己信念である。


何を言わんとするかと言うと、単に服従するだけで企業での生き残りは難しい。時に出る釘となるのを覚悟の上で出なければならない時もある。サラリーマンは安閑とすることなく、その時に備えて日頃から準備することが肝要ということである。新入社員の際はほとんどが従順な羊であったが、従順な羊のままで渡れるほど世の中はあまくない。現役サラリーマンの諸氏にはそう肝に銘じてもらいたいと考えている。
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筆者挨拶
今回の論文は去る2月17日に掲載した「現代サラリーマン処世術」に手を加え見直しをかけたもので啓発書として文芸誌に投稿する予定です。実は先日セカンドライフにおける就職先の指示で「事業場内メンタルヘルス推進者養成研修」を受講して参りました。かつてメンタルヘルス不調の経験のある自分には適役と思っています。

ところで、メンタルヘルスの肝となる「ストレスチェック」(数十項目の質問でストレスの掛かり具合を判定するチェックシート)は、その結果を本人の同意なしに、人事権のある人間や上司に見せてはならないとされていますが、中にはそれを無視して結果を見て左遷や嫌がらせなどの処遇に繋げているブラック企業もあるようです。会社側と一線を画しメンタル不調者と連絡を密に取り、医師や上司と調整を図る。これが事業場内メンタルヘルス推進者の職務となります。

カウセリングは資格がないために出来ませんが、簡単なアドバイスは出来ると踏まえております。私はこうした著作によって職場でトラブルやストレスに悩む人に、救いの手を差し伸べたいと考えています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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