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Japan Walking Tour 【4K】国分町


リンク動画解説
YouTubeサイト Japan Walking Tourの1年前の動画である。4K画像で臨場感あふれる東北最大の歓楽街・仙台市青葉区国分町の様子をご覧頂きたい。前半(0~2分30秒)までは、半年前まで自分が通勤していた一番町が登場する。毎朝、毎夕見慣れた風景であった。21分40秒あたりからは、若い頃よく行っていたセブンコートビル(辻向こうの右側の建物)が登場する。

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『懐かしのニュー東京
YouTube動画を見ているうちに、まったく偶然にも、私が若い頃によく通っていたクラブ・ニュー東京のCM(下図参照)を見つけた。1982年のものである。これによってニュー東京がこの年にできたものであるのを確信した。
断っておくが、このCMは客を呼び込むためのものではなく、クラブで働くコンパニオンさん募集のCMである。寮完備、送迎あり、託児所完備はご愛敬と言ったところか?これは水商売の裏事情とも言えるが、少なくとも客に対して、自分に子供がいるということを公言するコンパニオンさんなどは一人も居なかった。このCMを見ると、裏事情を暴露している気がしてならないのである。

さて、自分がなぜ、このようなクラブに出入りするようになったのかを改めて説明したい。自分は新卒以来ずっと建設関係の企業(ゼネコン)に勤務してきたが、その際複数の企業とJVも経験している。そんな際、若手社員同士のコミュニケーションの構築に、このような店は欠かせないものであった。飲み仲間に連れられて初めてクラブに行き、数箇月が過ぎたある日の夜、光彩通と元鍛冶丁の交差点を通りかかった折に、ニュー東京の女の子(売れっ子看板娘)から声を掛けられたのである。実はニュー東京は仙台のみでなく、姉妹店があった。それは福島県の郡山と栃木県の宇都宮である。

往時のニュー東京は生バンドが入っており、流行の洋楽(ポップスやディスコソング)がよく演奏された。客には建設業や自衛隊が多かった。昔は「職場の花」という言葉があったが、男だけの職場はやはり寂しく週末の夜ともなれば友達と連れ立ってクラブなどを飲み歩くパターンが多かった。独身貴族と言えないこともないが、夜の国分町を男の集団がぞろぞろと練り歩くのは、デートする彼女が居ないことでもあり、寂しさを感じさせるものがあった。

ニュー東京は同伴制(客が店に同伴料を支払う)を採用しており、多くの客を店に同伴することが売れっ子コンパニオンにとってのステイタスであり、トップセールスへの道だったのである。客の中には、夕方頃喫茶店や居酒屋などで女の子と落ちあい、夜の顔とは異なった顔に接したかたも多かったことだろう。時勢はバブルの真っただ中(80年代半ば~同後半)である。すべてが景気のいい時代であった。仕事が終わった後で、ボーリングに興じた後で複数で入店したことも何度かあった。

ニュー東京は18時半オープンで、同伴して一番乗りして店に入ると、大勢の女の子から「いらっしゃいませ」と挨拶される。初めて同伴した時は穴が合ったら入りたいような心情であった。同伴以外でも早い時間は店内がやけに明るいので素面だと恥ずかしい。そういう事情もあって、居酒屋でビールを飲んで顔が赤くなってから入店したことも多かった。ちなみにニュー東京仙台店の平均年齢は22歳だったと聞く。

1ニュー東京

これはあるリフォームブログから引用した2008年頃と見られるセブンコートビルである。幾度にもわたる模様替えを経ているセブンコートびるだが、緑系に塗られた外装が記憶の中にあるが、ニュー東京(恐らく90年代に撤退)がテナントに入っていた際、緑系の塗色であったかどうかは定かでない。今でもクラブが入っているようだが、こじんまりとした感は否めず、バブル期に流行った大きなクラブとは比べるべくもないようだ。

2セブンコート2008年頃

Japan Walking Tourより引用した現在のセブンコートビル(右側のビル)である。

3現在のセブンコート

ニュー東京の内部はこんな感じであった。時間が遅くなるにつれて暗くなった印象である。指名しない時はメインの女の子の他にサブ(数名)がついた。

内部

セブンコートビルの場所は元鍛冶丁と光彩通の交差点である。

4案内図

横町コメント
3843番目の記事になります。今から3年前に「今だから話せるニュー東京の思い出」という記事を書き、ブロ友様から様々な感想を頂戴しました。本記事はその第2弾となります。インターネットではけしてヒットしないバブル期のクラブを描き、後世に残すのはけして無駄なことでないと考えています。

思うのは往時の面々が、今どうしているか?ということです。ニュー東京のコンパニオンさんの中には、出稼ぎと称して姉妹店である宇都宮店や郡山店に移動したかたもいたようです。姉妹店の賑わいはどうだったのでしょうか?あれから40年近くが過ぎ、店や従業員さんにどんな事情があったのかは想像に委ねるのみです。ここ数年前からはコロナの影響もあったとは言え、すっかり寂しくなった国分町の様子を横目に見るにつけ、諸行無常の理を重ねます。

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7六百横町
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コメント

バブルの頃に、よく行かれた街の風景をYouTubeで発見されたのですね…。
私は、車通勤だったので、バブル当時でも飲み会の機会は、ほとんどなかったですね…。
バブル華やかなりし頃の懐かしい思い出ですね…。

URL | boubou ID:-

こんばんは~

良き時代の思い出ですね。
そう言ったものも、YouTubeで見ることができるのですね。

URL | 布遊 ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

様々なしがらみがあって書けないことも時が経てば書けるようになります。そんな気持ちで昨日は記事に向かいました。FC2ブログのブロ友が減ってきてるようなので、今後の継続はモチベーションとの戦いになりそうです。

要は書く意義があるのか、ないのかということです。これは最近よく自問自答することです。読んで頂く場でないとなればシチュエーションを変えざるを得ない気がします。

ご配慮により本日もお引き立てを頂戴しました。おはからいに感謝しています。コメントを頂きありがとうございます。

布遊さん、ありがとうございます。

おはようございます。かなり気合を入れて書きました。何気なく見ていた動画にこういうものがまざっていたようで驚いています。

そうおっしゃって頂き記事を書いた甲斐がありました。おはからいにより本日も格別なるエールを頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

お早うございます

車通勤のため、あまりお世話になった
ことはありませんが、昭和レトロな
雰囲気、懐かしいですね。

URL | ichan ID:-

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。因果な仕事ゆえ、長い時を経て、様々なしがらみがなくなり、ようやくこのようなことが書けるようになってきました。アナログ時代のことゆえ、店の名もインターネットでほとんどヒットしません。それだけに82年の宮城県のCMのYouTube動画で出てきたのには驚きました。

いろいろな意味でおおらかな時代でした。ブログにこういう記事を残せてよかったと振り返っています。栃木(宇都宮)にも姉妹店があったようです。ご配慮により本日も有意義なご感想を頂戴しました。おはからいに感謝しています。コメントを頂きありがとうございます。

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