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3855番目の投稿である。定年後のセカンドライフで、私は別な企業に就職する道を選んだが、たまたま仙台の目抜き通りである一番町が通勤経路となった。今日は新旧の写真を掲示しながら一番町の今昔について振り返ってみたい。写真は仙台市戦災復興記念館で撮影したものである。

ここは一番町で、最も北に位置する場所(定禅寺通の辻に近い場所から南側を撮影)である。左側には三越デパートがあるが、左上の小さな写真にかろうじて写っているのみである。大きな写真は昭和29年撮影となっている。往時の一番町は歩行者天国になっておらず、車が通っていた。アーケードは昭和20年代後半に完成した。

往時は大らかな時代であったが、自転車が多く止まっていて雑多な印象を受ける。通りの左側には木内眼鏡ニッポンビヤホール三和銀行の看板が確認できる。

1一番町入口、中央通

ほぼ同じアングルの辺りからとらえた現在の一番町である。車は全面通行禁止で、床にはタイルが貼られている。上の写真が撮影された時から既に70年近くが経過しているわけだが、一見すると全く違う場所に見えるほどである。

2現在の三越を過ぎた辺り

ここは北側の端から二百メートルくらい南に行った辺りと思われる。方向としては南から北側を撮っている。年代は昭和30年代後半~40年代初め頃と思われる。靴の中島、まんぞくや、ビヤホールなどの看板が確認できる。

3三十年代後半頃

上の写真よりは若干南の辺りから北側を撮影したビューである。

4現在

これは明治13年(1880年)なので、かなり古い写真である。場所は広瀬通の辻から南に入った辺り(現仙台フォーラス前)ということである。人々の服装は全員着物のようだ。左側の奥の辺りに見えるビルっぽい建物は藤崎デパートか?ちなみに往時呼び名は東一番丁と言った。

5フォーラス前1880

ほぼ同じ辺り(少し南)の現代の一番町(ぶらんど~む一番町)である。全天候の高いドームが架けられ、別な場所と見間違うほどである。

6フォーラス前から現在

横町コメント
時代が進むにつれ、一番町は昔のような雑多な印象は薄れ、道幅が広がったこともあり、きれいにはなりました。一方で書店が減り、映画館がなくなり、時代の移り変わり(アナログ~デジタルへ)を痛感します。

昔の一番町を知る熟年層から見れば、”学徒の街”が有していた情緒が薄らぎ、やや寂しく感じます。高度経済成長期の頃の一番町はあまり覚えていませんが、さぞかし賑やかだったのではと思います。

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7七百横町
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コメント

こんばんは~

だんだんと、整然と綺麗に変わってきていますすね。
商店街が現在も繫栄しているところは、少なくなったと感じます。
わたし地方など、消えつつあるようです。

URL | 布遊 ID:-

こんばんは

過去の写真での記録、潤沢なのは羨ましい
限りです。
居住地の過去の写真は少ないです。
歴史の記録は必要だと感じています。

URL | ichan ID:-

こんばんわ~。

子供の頃、親に連れられて東一番町のデパートに買い物に行くのが、ささやかな贅沢でした。
きっと、いつの時代も、様々な目的で多くの人々が集まる繁華街だったのでしょうね~。

布遊さん、ありがとうございます。

おはようございます。記事を作るにあたり、同じアングルからの写真にこだわりました。昔と比べてきれいにはなったものの、一方で賑わいや情緒(学都仙台)はどうか?と問われれば微妙な気がします。これは往時の一番町(東一番丁)を見たかたでないとわからない気がします。

お陰様で本日もお引き立てを頂戴しました。ご配慮に感謝致します。コメントを頂きありがとうございます。

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。カテゴリーに”番ブラ”を掲げるからには中途半端なものにしたくないと自分に言い聞かせ、記事を書きました。読者諸氏には昔の仙台の賑わいと情緒を感じて頂ければと考えています。

そうおっしゃって頂き記事を書いた甲斐がありました。おはからいにより本日も厚誼を頂戴しました。ご配慮に感謝致します。コメントを頂きありがとうございます。

penpen_1goさん、ありがとうございます。

おはようございます。先日、大町の戦災復興記念館で見た写真が記事を書く動機に繋がりました。昔の一番町を見ると、懐かしさを通り越し、愛しい情感(郷土愛)にも見舞われます。先人を見倣い、一番町に関して何か作品を残したいと考えていたところでした。

図書館に行くとアナログデータは結構あるのですが、これをデジタルに変換し、自分なりの考察を加えたいと考えています。ご配慮により本日もお励ましを頂戴しました。おはからいに感謝しています。コメントを頂きありがとうございます。

建物、通行人の服装、商店の様子から時代の変遷が分かりますね…。一番町は、"学徒の街”でもあったのですね…。貴重な画像をありがとうございました…。

URL | boubou ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

新旧の一番町の同じ場所を対比したいという意図で記事を起こしました。映画館や書店が多いのはいかにも学都という趣でした。他には喫茶店やパチンコ店も結構ありました。今となっては立派な昭和ロマンですね。

そうおっしゃって頂き記事を書いた甲斐がありました。ご配慮により本日もお励ましを頂戴しました。コメントを頂きありがとうございます。

いつも読ませていただいています。
母方の実家が三百人町にあったので大学生まで祖母宅に夏・冬休みに行っていました。
当時の東一番町は七夕の時だけは歩行者天国でした、懐かしい風景です。
大きな交差点には市電専用の信号機や運行管理用??の丸いタワーも建っていました。
印象に残っているのはあちこちでお風呂を沸かす亜炭の煙の匂い、魚屋の店先で串に差した魚を炭火で焼く美味しそうな匂いです。
仙台におじ・おばなど血縁者がいなくなって久しいので、もう訪れる機会もありませんが、今でも思い出すと懐かしさが込み上げてくる街です。
これからも仙台の紹介を楽しみにしています。

kazさん、ありがとうございます。

初コメントを頂戴し感謝申し上げます。往時は大らかな時代だったと振り返っています。今は番ブラと言う言葉が死語になりつつあるようですが、これを後世に残したいという気持ちで記事を立ち上げました。郷土史家(歌舞伎研究家)柴田量平氏による「仙臺・東一番丁物語」( 仙台・東一番丁物語 ) という著物があるようで、これを基に一番町界隈を回っています。枝分かれの界隈を含めると膨大な量になるので、ブログには小出しにするしかないと考えています。

貴兄の学生時代の思い出、確と聞かせて頂きました。こういうお言葉を頂戴しますと今後の励みになります。私事で恐縮ですが実はYouTubeも運営していますので、一番町に関する動画をYouTubeに掲載する手もある気がします。お陰様で本日は厚誼を頂戴しました。おはからいに感謝しています。コメントを頂きありがとうございます。

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