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升田幸三実力制第四代名人 / 大山康晴十五世名人 インタビュー集


3867番目のブログ投稿である。つい最近、図書館から河口俊彦著『升田幸三の孤独』という本を借りた。今回は升田氏と好ライバルであった大山康晴十五世名人の交互のインタビュー集をYouTubeで見つけたのでリンクした。尚、2人は同じ木見金治郎門下の兄弟弟子であった。

最初の頃は、升田は大山が入門した際、随分生意気な少年が入ってきたと思ったらしい。その後、2人はライバルとなり名人戦で覇を競うなど、切磋琢磨してゆくことになる。「新手一生」を掲げる天才肌の升田(攻めの棋風)と職人肌の大山(受けの棋風)でタイプは対照的であったが、昭和20年代~30年代の将棋界を大いに沸かせた。

升田は1957年に史上初の三冠独占(名人・王将・九段)を果たし、大山は苦渋を味わったが、その後盛り返すことになる。大山は1959年~1966年(36歳~43歳)頃はタイトル棋戦でほぼ無敵の極盛期となり、62年には5冠独占を成し遂げている。


1升田幸三の孤独

二人の印象に残るコメントを箇条にしてみた。
・弟弟子として大山(当時12歳の少年)が入門したが、生意気な口を利くから盤上(自分が駒を落とした手合い)で負かし、その後「弱いなら田舎へ帰れ」などと言っていじめ、泣かせたことがあった。
・プロは天狗になってはいけないが、大山にとっては、あの頃のしごき(可愛がり)が後々利いたのかも知れない。
・自分が生まれた時に伯父が人相を見たところ、釈迦とキリストとソクラテスを併せたような子が生まれたと母に告げ、びっくりしたという逸話があった。この話を升田自身も信じていたし、必ず大成するということを信じていた。
・それでも母親は将棋が嫌いだったので、升田が棋士になることを了解しなかった。仕方なく家を出たが、升田はその時物差しの裏に「名人に香車をひいて勝つまでは帰りません」という字を書いた。これが後年になって実現することになる。
・好きこそものの上手なれ。これはどんな道も同じである。とにかく一所懸命に打ち込むことが肝心である。迷いは無用である。

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・六歳から将棋を始めたが、親や先生などの理解があり、将棋に集中できる環境に恵まれたのは何よりだった。
・天才と言われる間はまだまだである。要は安定した強さを如何に継続するか(例:七割勝つことを続ける)が重要である。
・升田さんには弟子時代にいじめられたが、見込みがあるからいじめるわけであって、見込みがない者は放っておくものである。兄弟子の升田さんに可愛がられてこそ、なにくそ精神が培われた。
・とにかく、升田さんの強さは嫌というほど感じさせられたので、名人になろうとか八段になろうとかということでなく、打倒升田が自分の大きな目標だった。
・升田さんという目標があったから、今の自分がある。
・スランプは誰にでも訪れるが、要はそれを事前にキャッチして、備えられるかが肝要である。
・運は確かにあるが基本は楽観であり悲観は負の連鎖を呼ぶので良くない。
・60を過ぎてガンにはなったが休まずに対局を続ける道を選んだ。それが自分の本望である。

2対局

横町コメント
升田幸三の孤独』はまだ全部読んでいませんが、興味深いのは升田実力制第四代名人は毒舌でありながらも、周囲から絶大な人気があったということです。一方の大山十五世名人は権威で周囲を従わせていた節があり、人気では升田氏に及ばない気がします。相撲で言えば升田が柏戸(爆発的な出足があって、はまった場合は圧倒的に強い)に対して、大山は大鵬(相手をがっちりと受け止めてから安定した相撲を取る)と言えるのかも知れません。それはさておき、動画で二人の述べる蘊蓄は実人生にも当てはまることが多い気がします。

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3六百横町
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コメント

将棋の話題を取り上げていただきありがとうございます…。
ど素人のイメージですが、升田さんは新手一生という言葉に代表されるように天才肌の自由人、大山さんは緻密な理詰めの将棋の秀才肌というものです…。もちろん人間的親しみは、升田さんに感じます…。

URL | boubou ID:-

こんばんは

将棋の世界の奥深さを感じています。
天性の能力、努力後の能力、いずれが
突出するかは個々人次第、見逃し難い
ですね。

URL | ichan ID:-

boubouさん、ありがとうございます。

イメージとしてはおっしゃる通りかと思います。当時は舌戦もありきだったようで、心理戦もあったようです。
下記は昭和24年の「第2回全日本選手権」の前夜祭での升田氏と木村十四世名人とのやり取り(会食で豆腐が膳に添えられた)です。

木村「君はまだ若い。物の味が分かるまい。そんなこたあ、田舎者の言うことだよ」

升田「えらそうなことばかり言うとるが、将棋は名人でも、その道の専門家から見りゃ、木村名人の知識なんかゴミみたいなもんだ」

木村「なにい、ゴミだって?名人がゴミなら君はなんだ」

升田「さあね、ゴミにたかるハエですか?」

木村「君もえらそうなことばかり言ってないで、一度くらい名人挑戦者になったらどうだね」

今では考えられないことですが、当時はモラルは公のものであり、個人間においては”言った者勝ち”という風潮があった所以と察しています。ヘイトスピーチやハラスメントという概念もなかった時代ですね。

例え相手が名人であってもくだを巻く。升田氏のことを毒舌とした所以です。こういう型破りな面が許容されたのも昭和という時代のおおらかさと受け止めています。

お陰様で本日も有意義な話題を提起して頂きました。コメントを頂きありがとうございます。

ichanさん、ありがとうございます。

おはようございます。このインタビュー、なかなか奥深いようで、兄弟子に対して真正面から物を言えない大山名人が遠回しで升田氏を語っているように見受けられます。例えば「天才と言われる間はまだまだである。安定した成績を継続して残すことが肝要」これは病弱な升田氏にはかなわなかったところであり、深読みすれば「転んでも升田さんには出来ないだろう」と暗喩している気がしてなりません。それだけにライバル心むき出しの両者のインタビューと捉えています。

少し古い時代の将棋談義となりましたが、いつかは谷川九段や羽生九段、藤井現七冠らについても語りたい所存です。ご配慮により本日もお引き立てを頂戴しました。おはからいに感謝しています。コメントを頂きありがとうございます。

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