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 Donna Summer - Hot Stuff 
リンク曲について
この曲はディスコ全盛の頃、流行った曲である。ほろ苦い思い出の多い私の青春時代を振り返る時、不思議と悲哀を感じないで聴くことの出来る曲である。本日は濃いウイスキーをあおりながら、この曲を堪能し、若かりし頃の自分を回想したい。

随筆「我がサラリーマン生活を振り返って」
私は二十代の自分を回想する時、いつも思うことがある。それは、なぜそれほどまでに肩肘を張ってでも己の面子を繕わねばならなかったのか?ということである。これには祖父や父からの遺伝(二人とも名誉心が強く、とにかく頑固だった)の関与を認めざるを得ない。二十代の頃の私は、とにかく人から甘く見られることを極度に嫌った。極言に及べば、己の名誉が保持できるのなら他のことは捨てていいというものだった。こうして私は組織の中で浮いた奴と見なされるようになった。

その後、組織に馴染めない一匹狼となった私には様々な試練が待っていた。三十代半ばの頃、熾烈な出世競争で真っ先に足を引っ張られたのはまだ序の口である。出世競争では、ライバルAの策略で罠が仕掛けられたこともあった。それは、子飼いの業者を使って上司の前で私のダメ出しをさせるという手の混んだものだった。当時、口下手の私はAの策略に際し一言も返せなかった。こうして私は出世競争でライバルに遅れをとるに至った。

だが、或る日突然Aは急逝した。Aの昇進で辞めなくてもいい一人のB先輩が辞表を出した。別な先輩から事情を聞くと、B先輩の辞めた理由は「自分より数年も年下のAが上司になるくらいなら辞めたほうがましだ」というものだった。辞表を出すのをあと一箇月半思いとどまれば、辞める必要などまったくないドタバタ劇だった。Aは管理職昇進後、まもなく年上の私を君付けした。私が「君付けは止めてもらいたい」とその場で抗議したところ、止むなくさんづけになった。Aには年上の社員を使う際に必要な労いの姿勢などが殆ど見られなかった。「徳を以て人を治める」ということとは無縁な人物で、これにはかなり嫌な思いをした記憶があるが、私は家族の為に歯を食いしばって耐えに耐えた。

ライバルAの突然死の後、一時部署換えとなった以前の上司Cが再び私の部署に戻ってきた。C上司とは以前同様にいい関係を築き、何度かゴルフをご一緒させて頂いたが、その上司も定年退職を目前にして癌を患い、その八箇月後に帰らぬ人となった。そのC上司を偲ぶ記事は今まで何度も書いている。

その上司の後に私の上司になったDは若輩で小生意気な人物だった。私にとって「目の上のたんこぶ」とは正にDのことである。当時の責任者Eはその若僧の昇進を「凱旋」と言って、会議の場で祝したがEのその心無い言葉が、かつてDの先輩だった私を如何に傷つけるものだったか、Eには配慮ができなかったようだ。Dとは初めから最後まで徹底的に馬が合わなかった。奴は皮肉屋であり年上の私をコケにした。からかいとも取れるような奴の発言には、どうしても我慢がならなかった。そのため、Dには終始反抗的な態度で勤務した。彼にもAと同様に徳治主義は備わっていなかったが、煮ても焼いても食えないような私に待っていたのは部署換えだった。

包囲網が敷かれた私は生き残るために武士道を学んだ。この場で、その時のことを全て話せば長くなるので、知りたいかたは、「我が後半生と武士道」を参照して頂きたい。こうして私は、福島県の相馬市に転勤して様々な右往曲折に遭遇しながら、ようやく「定年退職」という名のゴールを切った。「遂に逃げ切った」という気持ちが偽たざる私の心境である。

どちらかと言えば、ほろ苦いことの多かったサラリーマン生活だったが、会社を離れる最後の日にもらった花束には感激した。私が他の社員の前で定年退職の挨拶をした際、かつて私の前に蔓延った年下の上司Dがやけに神妙な顔していたのを、私は今でもはっきりと覚えている。彼にはもっと人間的に成長して徳冶主義の在りかたを考えることの出来る管理職になってもらいたいと思っている。

建設業の管理という仕事に嫌気の差した私は、大型免許を取得し一時はまったく異なった職種である大型ダンプカーのドライバーとなったが、労使の間に食い違い(読者の想像に委ねる)が生じ自己退職となった。職を失い路頭に迷った私が新たに入った会社が今の会社である。

今の会社は社員の倫理教育(徳治主義)に力を注いでいる会社である。その骨子となっているのが儒教的思想である。儒教は言うまでもなく武士道の中核を為す思想ゆえ、その因果に際し、私はようやく六十を過ぎて自分にも運が向いてきたのを自覚している。私はしばらくはこの会社に付き添い、経営者から受けた厚誼に対し義を以て報いたいと思っている。
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筆者挨拶
本日は酔いに任せて、自分の胸のうちを暴露させて頂きました。他人の愚痴を聞いて気持ちのいい人など一人も居ない。それを百も承知の上で書かせて頂きました。多少伏せることで、私には吐き出す権利があると思ったからです。どんな形であっても、歴史的には生き残った者は勝者とされます。私が勝者となったかどうかは読者様の主観に委ねますが、少なくとも私はその企業に最後まで背を向けることなく生き残ったゆえに、過去のことをああだこうだと書くことが出来ると思っています。

よく、「歴史は筋書きのないドラマだ」と言われますが、私が歩んできた人生も正に筋書きのないドラマでした。負け惜しみを言うわけでございませんが、やはり全てが順調に推移した人間と言うのは稀有にございます。自分の人生を振り返る時「挫折」という文字は避けて通れないものですが、その挫折こそが今の自分を強くしてくれたと受け止めております。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。
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