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昨日塩竈に行った帰りに利府町の加瀬沼公園に立ち寄った、週末とあって加瀬沼公園は多くの家族連れで賑わっていた。但し、家族連ればかりではない。中には学生の懇親会らしき集団も見られ、思い思いにバーベキューや鍋を囲んでは、学友らと歓談に興じていた。

公園内には落葉樹もあり紅葉もだいぶ進んでいるようだ。テントを張ってキャンプを楽しむ家族連れを横目に息子と共に加瀬沼のほうに向かった。

紅葉に彩られた加瀬沼の水辺に立つと日頃の雑念も消え去って行くような思いに駆られる。私は堰堤に佇み、しばし息子と至福に浸った。

Google航空写真で加瀬沼の位置を確認して頂きたい。

加瀬沼から流れ出る小川にはこのようなコンクリート製の橋が架けられている。橋の名は「かせぬまばし」欄干には昭和7年竣工と書いてあった。何と85年前に造られた橋のようだ。然らばこの橋の築造に関わられたかたの殆どは故人となったはずである。そう考えると改めて、人の世の儚さを思い知らされるような気がした。
橋の近くには新奥の細道の杭が立てられていた。「んっ、何でここに新奥の細道の碑が?」…私は腑に落ちないものを感じて家に帰ってからインターネットで調べることにした。

インターネットで調べると、間違いなくここは「新・奥の細道」のルートになっているようだ。赤●が杭のある場所(かせぬばばし)である。そう言えば、私は4年前の2013年9月22日松尾芭蕉の足跡を追って多賀城市の浮島を訪ねたことがあった。

※詳しくは拙ブログ過去記事多賀城界隈の奥の細道参照

ミック挨拶
地図の右下に「浮島」という地名が見えます。松尾芭蕉の『おくのほそ 道』には、浮島は記載されていませんが、随行した弟子の河合曾良の『曾良旅日記』に は、浮島に立ち寄っていたことが記載されています。 元禄2年(1689年)5月8日、仙台から塩竈へ向かった2人は浮島などを見物し、その夜は塩竈の法蓮寺門前に宿を取ったと記録されています。

松尾芭蕉が加瀬沼の湖畔を通ったことを後で知り、感慨深いものを感じました。彼がこの場所を通ったころの加瀬沼はもちろん公園などはなく、今以上に長閑な場所だったことでしょう。次回はバイクで訪れ芭蕉が通ったルートを辿ってみたいと思います。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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