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【実話】「洞窟オジさん」13歳で家出して43年間、たった一人で洞窟や野山で暮らした男の壮絶サバイバル生活


リンク動画解説
「洞窟オジさん」という書籍がある。これは数奇な運命をたどった加村一馬氏によるノンフィクション(自叙伝)である。彼が家を出たのは13歳で1959年のことだった。群馬県の山村に生まれた彼が家出した理由は、父親からの激しい折檻(今で言えば虐待)や小学校での学友との軋轢としているが、弱い者、憎らしい者へのいじめ的要素も多分にあったのかも知れない。戦後の物資に恵まれない時代がゆえに、世の中全体がハングリーな時代であった。こうして彼は度々山学校(児童や生徒が学校をさぼって野山に身を置くこと)をした。

1家出した当時

そんな彼が家に見切りをつけたのは13歳(中学一年)の時であった。家に帰るくらいなら死んだ方がましだというほど、彼は思い詰めていたという。家を出た彼は線路沿いに歩き、栃木県の足尾銅山に向かった。加村少年にとってラッキーだったのは家で飼っていたシロという犬が後を追ってついてきたことであった。シロを連れてさまよい歩いた彼は足尾銅山の採掘跡の洞窟を棲家にしたのである。

2イノシシ用の罠

虫、爬虫類、獣…山中で彼は必死になって食料を探して、火を通して食べた。並みのサバイバル術ではなかったが、その経験は父から学んだことが大いに役立ったようだ。時に熱を出した際にはミミズを捕まえて、煮たものを食べ、薬効(解熱作用)に授かったという。圧巻は家から持ち出したスコップを使い、穴を掘って猪の罠を作り、獲物として仕留めていたことである。もちろん木の実やキノコなども食べていたことだろう。

3父から学ぶ

そんな彼は山中で老夫婦に発見される。老夫婦の好意で加村少年は老夫婦の家に泊めてもらうことになった。老夫婦は加村少年に戦争で亡くした息子に面影を重ねたという。そんな彼は自殺するために富士の樹海をさまよい続けた。樹海では複数の自殺した遺体に対面したという。

この時の彼は自殺願望もあったようだが、樹海で自殺した遺体を見てあまりにも痛々しいので、死ぬのはよそうと決意したという。その後、彼は川で魚をとって細々と生を繋いできたが、大水後の不漁で自販機荒らしを思いついた。この時、警備員に見つかってしまい、身柄を警察に引き渡されることとなった。家出したから実に43年後のことであった。

彼の移り住んだ場所をご覧頂きたい。南は富士の樹海(青木ヶ原)、北は福島県の阿武隈山地と極めて広範囲に渡っている。このことが彼の発見を遅らせたのかも知れない。

4放浪した範囲

横町コメント
3950番目の記事です。多くの人は嫌なことが重なればくじけそうになります。時に現世のしがらみから逃れたいと思うことでしょう。それが人間の性なのかも知れません。そんな時、人によってはホームレスになることを選ぶこともあります。しかし洞窟オジさん(加村一馬氏)の場合は、ニュアンスがだいぶ異なります。それは自給自足を基本として生き延びてきたことです。

このようなサバイバル生活には、横井庄一さんや小野田寛郎さんを思い浮かべますが、戦争絡みのサバイバルではありません。それと気候もまったく違います。冬は凍死の危機にも見舞われたことでしょう。そう考えると、恐らく並みの精神力では生き延びれなかったものと察しています。

私は過去に人生のスランプに遭遇した際、現実逃避(自殺するよりはいい)をいろいろと模索しましたが、南方の離島に逃れるなど、現実離れしたことも考えました。但し加村氏のような山中でのサバイバル生活は考えられませんでした。それだけに大きなインパクト😖🔨を感じています。ちなみに加村氏のその後は、知人の取り成しで或る知的障碍者自立支援施設の用務員となりました。

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9六百横町
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