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木曜日は仕事が休みである。私はこれを利用して仙台市南部に隣接する名取市に向かった。県道(仙台-岩沼線)沿いに道祖神社の立札が立っている。道祖神社は佐倍乃(さのえ)神社とも呼ばれる由緒ある神社である。




この脇道を入って行くと間もなく佐倍乃神社である。



Google航空写真で佐倍乃神社の位置を確認して頂きたい。赤●の部分が佐倍乃神社である。すぐ北に「藤原実方の墓」とあるが、藤原実方(実方中将)は佐倍乃神社と関わりのある人物である。



神社の参道から南に向かってこのような旧道らしき道が伸びているが東街道(国府多賀城に至る古代の官道「東山道」とほぼ一致するといわれ、中世には「 奥大道」と呼ばれていた。)の一部と思われる。右側は竹林、左側は杉木立が混ざっており、神社が近いこともあってあたかも背筋を正されるような神々しさを感ずる。恐らく、いにしえの通行人もこれと近い情景を見たのではないだろうか?正に太古へのロマンを感じたひと時であった。



佐倍乃神社の鳥居は神社の風格に負けない立派なものであった。



これが社である。境内は植木も刈り込まれ、手入れが行き届いている。

※以下一般財団法人名取市観光物産境界HPより引用 
佐倍乃(さえの)神社
景行天皇時代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)の勧請によって猿田彦神(さるたひこかみ)、天鈿女命(あめのいずめのみこと)を祭神として祀られている。江戸時代には「道祖神社」と呼ばれていたが、明治7年に古称の「佐倍乃(さえの)神社」に改称し、明治41年塩手にあった式内社佐具叡(さぐえ)神社が合祀された。源氏物語の主人公・光源氏のモデルになったとされる中将藤原朝臣実方が、この地方に赴任中、この神社の前を馬から降りずに通過してしまった。それが神前で無礼を働いたとして落馬し、それが元で亡くなったとされる。



社は二つの建物を通路で繋いだ間取りとなっている。こうした神社は格式の高い神社に見られる様式である。



横町コメント
佐倍乃神社は由緒のある神社のようです。実方中将とは清少納言とも恋愛関係を噂されたかたで、中古三十六歌仙(藤原範兼が撰した「後六々撰」に名をあげられた三十六人の歌人)の一人とされ、和歌に優れた才能を発揮した人物で、言わば当時のエリートでした。ゆえあって彼はこの地に995年に左遷(待遇からみて、左遷でないという説あり)されたわけですが、左遷から3年経た998年、この神社の前を馬で通りかかった際に、付近の人が神前につき馬を下りるように勧めたものの、彼はこれを無視して通り掛かり、神の怒りをかって落馬して命を落としたとされます。次回の記事ではここから約1キロほど離れた彼の墓も紹介したいと思います。

話は変わりますが、セカンドライフでの就職が決まり、ようやく身辺が落ち着いて参りました。これと同時に文芸に対しての意欲も復活して参りました。本日は久しぶりに史跡や旧道を訪ねましたが、これからは以前のように文学や歴史関係の記事も増えてくるものと自覚しております。また、史跡を探訪したい欲求と比例して執筆に対する熱意も戻って参りました。読者様、ブロ友様におかれましては、改めまして、今後とも宜しくお引き回しの程お願い申し上げます。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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