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つい一箇月半前までの私の職業は大型ダンプカーの運転手だが、その時の体験のことを描いた随筆が文芸誌「みちのく春秋」秋号に掲載された。

大型ダンプカーの運転は楽しい
私は物心ついた頃からバスに乗るのが好きだった。母親につれられよくバスに乗ったが、座る席は決まって最前列だった。市街地、郊外を問わず、車窓に広がる景色を眺めるのも楽しみだったが、力強いエンジン音に聞き入ったり、ドライバーのハンドル操作やギア操作に見入っているうちに、いつしか自分もこういう大きな車を運転してみたいという気持ちになっていった。こうしたバスへの憧れは小学校三年の時のバス通学で更に顕著になった。石巻市内で片道三十分ほどのバス通学だったが、一個月も経つとエンジン音を聞いただけでメーカーを当てられるほどになった。

その一年後、小学校四年となった私は仙台市内の小学校に転校した。私の家は新興住宅地にあり、周囲はまだ造成工事が盛んに行われていた頃であった。私はブルドーザーが往復する工事現場を見物するのが好きだった。ある日のことだった。ブルドーザーのオペレーターから「どうだい、坊や、良かったらブルドーザーに乗せてあげよ?」と誘われた。私は有頂天になって首を縦に振った。


初めて乗せてもらったブルドーザーのことは今でもはっきりと覚えている。エンジンが唸れば、人力ではとても動かせない巨岩や、土の山もひと押しだった。荒々しい機械音とエンジンの咆哮が入り混じり周囲を圧倒する。これほど力強い躍動感を感じたのは生まれて初めてだった。こいつは本物の怪物だ。私は子供心に、鉄の塊が絞り出す圧倒的なパフォーマンスに酔いしれた。

それから数日後にはダンプカーにも乗せてもらった。パワーショベルで山を削り出した際の土砂を大型ダンプに積み込むのだが、荷台に土を積み込む際は結構荒々しい振動が伝わる。土砂を満載したダンプが走り出す際の強大なエネルギーは感動を伴うものだった。『自分もいつしかこのような大きなトラックを操縦してみたい』、私はそんな思いに駆られ、興奮冷めやらぬまま帰路に着いた。
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それから数十年の月日が経ち、かつての少年は何とか定年退職を迎えた。バスやダンプカーのドライバーになるのを諦めてから既に四十年以上が過ぎていた。そんな私に再び蘇ったのがダンプカーの運転席につく夢の再燃である。昨年の八月、間もなく定年を向かえようとしていた私は或る決断に迫られた。それは在籍した企業の再雇用の打診を受けるか否かということだった。

私は建築技術者としてそれなりのライセンスを持ち、現場管理において三十数年のキャリアがあったが、セカンドライフにおいてこれを続けるかということを考えると、ピンと来ないものがあった。それは常に顧客と下請け業者に挟まれるという立場に煩わしさを感じたからである。現役時代は家族のために辛抱を重ねたが、セカンドライフでは、こうした我慢にピリオドを打ち、もっと夢のある仕事がしたかったのである。

熟慮を重ねた私が決断したのは大型一種免許の取得である。山形県内の合宿式の教習所に今年の六月中旬から通い始め、月末には待望の大型一種免許を取得した。免許を取得してから数社のダンプ会社の採用面接を受け、三度ほど不採用となり一時は夢を諦めかけたが、四度目の挑戦でようやく大型ダンプカーのドライビングシートを得ることが叶った。現場(石巻市牡鹿半島)への初出勤は七月二十四日だったが、天候が悪くて数日の間、ダンプカーに乗ることはかなわなかった。そんな私を待っていたのは猛暑の中での型枠組みや人力掘削などの力仕事だった。

手荒い洗礼を受けた後の私の大型ダンプカーデビューは忘れもしない。初出勤から三日経った七月二十七日のことだった。初めてのダンプは日産ディーゼルの十トン積みである。ギアは七段変速であるが、この現場で主に使うのは一速~四速、未舗装路で重量物を運ぶという特性上、大型ダンプカーのエンジンは低速から大きなトルクを発揮するよう設計されている。


現場の方向転換所はけして広くないので切り返しをする際のハンドル操作は結構忙しい。崩れそうな路肩を目いっぱい使わないと方向転換が出来ない場合もある。大型ダンプカー特有の操作に慣れるには数日を要した。大型ダンプカーは4トン以下のダンプカーと違い、ツーデフと言って二列に並んだがダブルタイヤ双方が駆動するシステムを備えている。従って悪路での走破性が高く、はまりそうになった際の脱出力に優れている。ところが、そんなツーデフをしても這い上がれなくなるような深みにはまってしまい、身動きできなくなることもけして珍しくない。

ダンプカーが自力で這い上がれなくなった際は重機(掘削機)のバケットで後ろから押してもらう。こういう時は重機オペレーターとタイミングを合わせる必要がある。その際は、誠意を示す意味でも、ダンプから降りて行って、ジェスチャーなどでダンプを押してもらいたいという意志表示と感謝を伝えなければならない。こうした動作が、ごく自然に出来ないと一人前とは言えない。一度雨が降れば現場の路面コンディションは一気に悪くなり、鉄板を敷かないと入れなくなる。そんな際は鉄板敷きの補助作業をしなければならない。

またパンクした際、一本百キロ近くもあるタイヤ交換では相応の体力を要する。それだけにこの稼業はリスクも伴うし、泥まみれ、汗まみれになる荒仕事である。この稼業は傍から見るような安易なものではない。空調の効く車内にただ乗っているだけでいいというわけには行かない。心身ともタフでなければとても勤まらない仕事である。私はこの仕事が誰にでも勤まるものでないというところに、逆にやり甲斐と限りない魅力を感じるのである。

最後に晴れた日のダンプカーの運転は最高である。この瞬間に全ての苦労が吹き飛ぶと言っていい。乗用車の運転をドライビングとするならば、大型ダンプカーの運転はクルージングである。大排気量エンジンが奏でる力強い排気音、排気ブレーキの作動音、重荷重負荷時のサスペンションの躍動感今まであばたと思われていたものが全てえくぼになるという表現が最も似合うのがこのダンプカークルージングである。だからこそ、私はこの仕事にまだまだはまりそうな予感がするのである。
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ミック挨拶
私は年に四回みちのく春秋という季刊誌に自分の作品を掲載しています。前回の夏号までは「金色の九曜紋とともに」という歴史小説が3年間に渡って掲載されました。今度のダンプカードライバーの体験談はまったく違った分野からの寄稿になります。

私は創作において注目されたいと思うなら、人と同じようなことを書いていてはダメでオリジナル性がないといけないと認識しております。

とにかく人が殆ど書かないような分野のことまめに書く。これが私の考えです。みちのく春秋を通してこの作品が多くのかたに読まれることを祈念しています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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