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四五年前の私は精神的に揺れ動いていた時代である。理由はさておき、そんな時分に救いを求めたのが論語であった。論語は儒教の中でも大きな位置を占めるもので、四書五経の中ではエース的な存在である。例え短いものでもいい。一日一つでも論語に綴られた言葉をマスターする。自分が悩んだ時、このような本を通勤の電車やバスの中で読み、心の平穏を得ようとしたことがあった。本日はその中で印象に残った言葉を紹介したい。

「憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘れ、老いの将に
 至らんとするを知らず」
意味:発奮して食事をとるのも忘れ、疑問が解けた時には素直に慶び心配もなく、老いることさえ忘れているのではないかと見えるほど、勉学に集中していた。

これは孔子自らが述べた言葉でなく、晩年の孔子を見て弟子たちが綴った言葉である。自分もセカンドライフで人の建設業の安全を司る仕事をしているが、その仕事を天命(天命には二つの意味があるが、自分の意志ではどうにもならない運命でなく、生きているうちに果たすべき使命)と捉え、是非この言葉にあやかりたいと考えている。

幸い今の自分は健康に恵まれている。従って孔子のように発奮も利く。出来れば年を取るのも忘れるほど仕事(本業以外の文芸誌や企業広報誌への寄稿を含む)に打ち込みたいものである。

横町挨拶
どうせ発奮するのなら、心から愉しみたいものです。自分の座右の銘の中に「好きこそ物の上手なれ」という言葉がございます。好きと上手に相関関係があるのか?という疑問もございましょうが、上手になるには、先ずそのことを好きになるのが先決と受け止めております。自分はそんな考えを持ちながら、所属している企業に勤務していますが、就職して一年四箇月が経った今、この仕事が心底好きになって参りました。上手になれるという自信こそございませんが、意欲だけは漲っていると断言できます。これも数年前に論語を読んだお陰なのかも知れません。読んだ時にピンと来なかった言葉が数年後にようやく理解できるようになる。それが実践哲学の難しさであり醍醐味と捉えています。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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